ひとり居酒屋・考察会議(たい焼き)
小説やドラマなんかに時折出てくるシーンに、1個のたい焼きを半分に割って、2人で食べるというものがあります。紳士的な男性が、半分に割ったたい焼きの1つを彼女に手渡す時なんかは、決まって大きくてあんが多く詰まった胴体の方を差し出し、自分は小ぶりなシッポ側を食べる。
優しさとはこういうことであり、紳士たる者、こうあるべきである……いやいや、それは渡す相手のその時の状況により、どちらをあげるのが適切かは変わってくるだろうし、100パーセント相手を思いやっているのとは違うんじゃないのかと思います。
その時、彼女はダイエットをしているのかもしれないし、今はあまりお腹を空かしていないのかもしれません。母親が子供に大きい方を渡す時なんかでも、その子は数十年後には、厳しい資本主義と言う名の荒波の中で、日夜戦い続けていかなければならない可能性が高いわけである。
だからここは心を鬼にして、「今日はお母さんが大きい方を食べるから、たっくんはシッポのほうで我慢してちょうだい。たっくんが将来自立して自分で稼げるようになったら、その時は好きな方を選びなさい」というのも一つの教育の形であって、立派な想いやりなのではないのかとも思います。
相手がシッポ側を求めているのを感じつつも、大きいほうの部分を手渡そうとする行為は、優しさというよりは、自分が相手から良く思われたいという、エゴのようにも思います。