人生の意味って?

生まれたことになにか意味があるのか?
物心ついたときから、そのように感じる。

皆さんはどのような実感を持って生まれたきた意味、人生の意味を考えますか?
どのように生き、どのように死にたいと思いますか?

このようなことをふと考えている時に、
現在、長期取材に行っているNORIKIYOさんの曲をバイトの帰り道に聴いていました。

生まれてきたこと自体に意味なんてない、でももしも欲しいのなら付けちゃいな
(NORIKIYO 俺達の唄 feat.MACCHO)


私の直観ですが、これが本当だと思います。メーテルリンクの青い鳥のように、人生の本当の意味というものは決して見つかるものではありません。(そもそも、悪魔の証明のように、問いが成り立たないものだと思います。)

ですが、日々を生きている時、漠然とした不安に襲われた時に、大切な人を失ったときに、考えてしまいます。

生きている意味って?
人生の意味って?

その時には、自分なりの意味を付けちゃわないとその場で生き残ることができないのだと思う。
自分なりの物語、自分だけのストーリーを作る必要があるのだと思う。
(その物語は、全て因果に繋がっている訳ではなく、事実を訥々とつぶやくような、嗚咽にも似たような、筆舌に尽くし難い。だが、言葉を尽くさねば、世界を分節せねば、言葉になる前の感情に、心が潰されてしまう。)



私のストーリーはかなり変わっています。
前提条件が違います。なぜ生きているのか。というより、「まだ、生き残っている。まだ、死んでいない。」そこから、なぜまだ生きているのか。と考えています。
理由は、私は物心つく前から生死をさまよう病にかかり、何故死ぬのだろう?と生きてきたことです。(当時、ここまで明確に言語化していた訳ではもちろんありません。)
生きる意味を考える前に、死ぬ意味ってなんだろう?を考えました。
生きる意味を考えるために、ここまで読んできてくれた方、申し訳ありません。問題が増えてしまいました。
妙案と言っても、凡夫ですからしれています。こういう問題が行き詰まったときには、過去の遺物に頼りましょう。(100年経っても生き残っている情報は、本当に役に立つものばかりです。)

世界で一番の売り上げの旧約聖書よりコヘレトの言葉 1章から引きましょう。
なんという空しさ、すべては空しい。

また続いて、般若心経を引いてきましょう。
一切空 (すべてが空である。)

どちらも、空と言っていますね。じゃあ、すべてはなんの意味もないんだ。と、結論付けては行けません。
般若心経の続きを読みましょう。
色即是空。空即是色。
色がそのまま空であり、空がそのまま色である。 
色と空は同じである。

私はこの色を俗世の事柄すべてだと解釈しています。
空については意味がないことではないと解釈しています。(まだ私はここに解釈の余地を残しておきたいです。)


生きるってなんでしょうね?明確にわかるものではないということが分かったと思います。それは胡蝶の夢のように、自分は本当は蝶で今見ている現実は連続性のあるただの夢である可能性を捨てきれません。


自分だけではなく、人はなぜ生まれてきたのでしょう。
私の二十余年あまりの人生ではありますが直観として、人は完璧ではないから生まれてきたのではないか。と感じています。
完璧なのだとしたら、生まれてこない、もしくは全知全能の神となっていたのかもしれない。

人は完璧ではない。人は一人では生きていけない。
ゆえに、人間、人と人の間に社会を作り出して生きています。
人は人間でないと存在できない。
自分の中に生きる意味はない。他者の中にしか生きる意味はない。


色々、言葉を尽くしました。でもこれらの言葉は、あくまで型(イメージ的にはブルース・リーの木人樁)です。
だから、人は言葉(型)を持ち、修行せねばならないと私は思う。

それは困難な道を究めます。意味を決めずに進むことですから。(ミシェル・フーコーの言うエポケー)
その道は、他者に対して尊敬を持つことによってのみ開かれます。
それはをもたなければなりません。そうでなければ、最終的解決と結論付けてしまいかねない。

私の思う人生の意味は空です。まだ、解釈の余地ばかりです。


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