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水と光が交わるとき ~光州への旅の記録1
2024年5月16日。
前日から未明にかけて、大陸から移動してきた嵐が、日本海〜九州を通過した。
嵐が過ぎ去った後の空気は、澄み渡る。
日差しが眩しい。
強い風だけが残された、早朝の博多港国際ターミナルへ向かった。
昨年の7月、偶然訪れた福岡アジア美術館での出会いから繋がれた糸。
美術家の山内光枝さんが韓国光州で作品を制作するにあたり、長女に通訳のチャンスを授けてくださることになり、私もそれに同行する。
偶然が積み重なったこの糸の先に、初めて知った光州事件のこと。
光州事件から44年を迎える追悼イベント「光州民主化抗争記念式典」が行われる日に合わせて、その地に向かう。
天候を気にしながら到着した早朝の博多港では、到着と同時に、予定していた10:00博多発→釜山行きの高速船ビートルの、強風による欠航の案内が表示された。
光州へのトランジットとなる釜山へのアクセス。
この旅は、どうしても海路を選びたかった。
12:00発の大型貨物船カメリアの手続きのために、そのまま列に並んだ。
時間の経過とともに嵐の残した風は和らぐ。
今のところカメリアは出航予定だ。
そのまま2時間ほど列に並び、カメリアのチケットをゲットした。
乗り込んだカメリアから見た博多港。
![](https://assets.st-note.com/img/1719213012792-YeIGHYaWba.jpg?width=1200)
オレンジ色のモニュメントに見送られる。
1996年4月1日。
私はこのモニュメント「那の津往還」の点灯式に立ち会った。
社会人初日、このモニュメントが何のものかわからないまま、その場にいた。
4月の海辺の風が、思った以上に冷たかったのを覚えている。
冷たい風の中で灯りがともされた、あの時から28年が経ち、
ようやく昨年、偶然知った家族の歴史から、このモニュメントの意味を知った。
ゆっくりと出港したカメリアが、波しぶきをあげながら進み始めたころ、
2等客室の窓から見えた風景。
走るカメリアのつくる水しぶきと、嵐のあとの澄んだ光が交わり、溶け合うたびに虹が合成されていた。
博多と釜山の間の水の航路は、無数の虹が傍にあった。
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つづく
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