bijou blanc

自分の気持ちをアウトプットする、自分のための雑多な記録です。 子どもの頃の夢中になったあの感覚を思い出したい。 突き動かされるように物を作った、あの感覚を思い出したい。 湧き上がる感情から生まれるものを作りたい。

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マガジン

  • 韓国に繋がる糸 家族の記録

    韓国との縁を言葉で記録したファイルです。

  • 徒然なる記録

  • 光州への旅の記録

    2024年5月に訪れた光州の旅の記録。

  • 絵画や遺跡、アートを追う記録

    アートとは何かを探求しながら、出会ったものや訪れた場所の記録。

  • 洋服、ミシン、縫うことの記録

    洋服、ミシン、縫うことの記録をファイルしています。

最近の記事

貝殻の思い出と、アオサギと、風になった人魚姫 ~対馬での旅の記録5

対馬博物館を後にし、福岡へと帰るために、厳原から対馬空港行のバスに乗り込む。 厳原から対馬空港へ向かうこの道には、柔らかな思い出があった。 今回の帰路も、あの時と同じ飛行機とバスだった。 もしかしたら、あの貝殻をくれた人にまた会えるかもしれない。 でも、その人はバスには乗ってこなかった。 ふと見ると、海へ続くとみられる河口に、1羽のアオサギがいた。 急いでスマホで写真に収めようとしたけれど、間に合わない。 そういえば、「泡ひとつよりうまれきし」の展示の案内が届いた夏

    • 誠信 ~対馬への旅の記録4

      対馬空港から厳原へ向かうバスの中で、A4サイズくらいの広告ポスターが目に付いていた。 「対馬朝鮮通信使歴史館 、令和3年10月30日に開館」と書いてある。 それは対馬博物館から徒歩数分の場所にあった。 目的の対馬博物館を訪れた後、対馬朝鮮通信使歴史館にも足を運んだ。 訪れてみたその場所には、日韓の国交の歴史があった。 豊臣秀吉の時代、日朝関係は朝鮮出兵により失われた。 後にそれを修復しようとしたのが徳川家康。 彼は朝鮮通信使を復活させ、手厚くもてなしたという。 対馬藩は

      • 「泡ひとつよりうまれきし」~対馬への旅の記録3

        厳原に到着し、対馬博物館の開館と同時に「泡ひとつよりうまれきし」の展示会場へ入った。 展示室への入り口を入ったとたん、深い深い海の底にいるような気持になった。 ハツコ縄、海女さんのふんどし、鮑おこし、磯メガネ・・・ 恐ろしい側面もあわせ持つ海に対峙するために、 海に挑もうとする人間の精神性がつくりだした道具たちが、そこにあった。 盆踊りは供養であり、鎮魂のため。 ハツコ縄は、魔よけの左綯いで作られる。 怖いけど、そこに向きあう。 不気味だったり、そしてエロティックだ

        • 曲(まがり)の海 ~対馬への旅の記録2

          光枝さんとは、アジア美術館の「水のアジア」の展示を通して知り合った。 釜山と博多の間で刻まれた家族の歴史に共通のものがあったのが、きっかけだった。 そして時間を共有する中で、光枝さんが海女学校を卒業されており、ご自身も海に潜ることや、いろんな偶然が重なり海女文化のある対馬へ行きついていたことを話してもらった。 光枝さんが通い続けた曲地区のことも聞いていた。 曲地区は、裸海女の文化が残る集落だという。 私はというと、それまでほとんど知らなかった対馬に、長女が高校進学することに

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        • 韓国に繋がる糸 家族の記録
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        記事

          秋分の日、突然の嵐 ~対馬への旅の記録1

          2024年9月22日。 昼と夜の長さが同じになる秋分の日。 対馬を訪れた。 長女が対馬高校在学中、学校行事で年に2回は訪れた対馬。 在学中に対馬博物館は建築中だった。 対馬を訪れる際は、オープンがいつになるのかと気にしながら情報をチェックしていたけれど、在学中にオープンすることはなく、2019年の春に長女は卒業を迎え対馬を離れた。 そして2022年春に対馬博物館はオープンした。 その後、対馬を2022年12月に一度だけ訪れた。 対馬を去る時、また対馬に来るための理由を作り

          秋分の日、突然の嵐 ~対馬への旅の記録1

          夏至の日、伊勢神宮にて

          2024年6月21日。 次女の大学の行事に合わせて、福岡から愛知に向かった。 図らずしも、それは夏至の日。 1年の中で太陽のエネルギーがマックスになる日だった。 次女とふらりと名古屋駅から電車に飛び乗り、伊勢神宮へ向かうことにした。 ふと思いついた旅。 名古屋駅から近鉄電車に揺られて1時間半。 空は灰色の雲に覆われ、時に雨も降っている。 そんな空の下に広がる田園風景、青々とした苗が並ぶ様子が残像として目に焼き付いている。 降り立った伊勢市駅では、濡れた地面と、思ったより肌

          夏至の日、伊勢神宮にて

          夢の記憶

          平成のはじめ。 私は高校生まで暮らした土地を離れ、自分を受け入れてくれた大学に進学するため、福岡へ移り住んだ。 3月下旬の合格発表の日、発表時刻は夕方の16時だった。 大学の正門付近に張り出された合格者発表の掲示板を確認したその足で、新生活を始めるための住まいを探しに不動産屋に立ち寄った。 当時の受験システムでも、秋ごろからの推薦入試、年明けの私大の入試と、周りが進路を決めていく流れがあったので、3月下旬に行われる合格発表は最後に決まるパターンだった。 訪れた不動産屋では、

          終わってからも続く ~光州への旅の記録 光州ビエンナーレ・シンポジウム@福岡

          福岡アジア美術館企画展「水のアジア」で出会った山内光枝さんの作品「信号波」に心を動かされ、送った1通の手紙。 その手紙をきっかけに光枝さんと交流をし、家族のことや、作品のことを話した。 光枝さんに実際にお会いして感じる人柄や、制作への信念のようなものは、私が「信号波」から感じ取ったそれと、同じだったと思う。 光枝さんが光州に行くことになったと聞いた。 そして、韓国語を勉強中の長女に、通訳者として光州に行くチャンスを与えてくれた。 若い長女に、未来の価値を見出すための投資と

          終わってからも続く ~光州への旅の記録 光州ビエンナーレ・シンポジウム@福岡

          変わりゆくものと変わらないもの、釜山にて ~光州への旅の記録10

          光州から福岡へ帰る途中の、トランジットとなる釜山。 釜山で再び訪れたい場所があり、その地を訪れる時間をKeepできるように、釜山発→博多行の船便のスケジュールを組んでいた。 私たちは、義祖父の生まれた、その場所を再び訪れた。 長女は、2023年釜山の大学を卒業し、いったん福岡へ戻った。 その時訪れた福岡アジア美術館で山内光枝さんの作品に出会う。 その作品中の日韓併合時の釜山の住宅地図に見つけた、私たちの苗字。 長女はこの2024年の春から、再び進学のために釜山へ渡った

          変わりゆくものと変わらないもの、釜山にて ~光州への旅の記録10

          土地の記憶 ~光州への旅の記録9

          光州への旅の記録1~8の続きです。 ☆☆☆ 2024年5月18日。 光州民主化抗争記念式典が行われるこの日を光州で過ごし、 明日は釜山を経由して福岡への帰路につく予定だ。 1日の活動を終えて、帰り着いたゲストハウスの夜の風景。 ゲストハウスのだれでも集えるダイニングテーブルで、ソウルから光州へ来た若い女性と出会い、おしゃべりに花が咲く。 とても流暢な日本語で、話をしてくれる。 韓国に来て思うのは、日本語が上手な若い人がとても多いということだ。そして、もちろん日本がと

          土地の記憶 ~光州への旅の記録9

          自由や新しい何かを求める風土を感じる ~光州への旅の記録8

          光州への旅の記録1~7の続きです。 ☆☆☆ 2024年5月18日。 昨日の光州民主化抗争記念式典の前夜祭から一夜が明けた。 青い空から差す光が眩しい。 目覚めたその時、昨日の前夜祭が、現実だったのか、夢だったのかわからなくなる。 光州に初めて宣教師が来た時に暮らしていた洋館をリノベーションした、趣のあるゲストハウス。 民主化運動の起こったこの地には、自由や新しい何かを求める風土が根差しているのかもしれないと、直感的に思う。 ゲストハウスの周辺を散策しながら、ランチ

          自由や新しい何かを求める風土を感じる ~光州への旅の記録8

          舞い上がる噴水と、昇華されない痛み ~光州への旅の記録7

          光州への旅の記録1~6の続きです。 ☆☆☆ 5月の空に向かう噴水の白い水しぶきと、澄み渡る空を見上げた時の眩しい光、それを受けて青々と輝く新緑。 44年前のこの日も、こんな心地よい天候に恵まれた、5月のある日だったかもしれない。 感情を開放させるかのように、勢いよく噴き出す水しぶきの向こうに見えるのは、5.18民主化運動の10日間を記録する「全日ビル245」 ビルには、ヘリコプターから打ち込まれた245発の弾丸の跡が残されていた。 事件当時の一般市民の日常に入り込

          舞い上がる噴水と、昇華されない痛み ~光州への旅の記録7

          白と青の記憶 ~光州への旅の記録6

          光州への旅の記録1~5の続きです。 ☆☆☆ 光枝さんと長女が、光州民主化抗争記念式典・前夜祭で参加する合唱のリハーサルの場所へ向かった。 到着したその場所は、光州YMCA建物内の体育館だった。 光州に来る前、「光州5.18」で観たYMCAの看板が、なぜか記憶に焼き付いていた。 私は図らずしも、その場所へ来ることになった。 デジャブを見ているような不思議な感覚だった。 そして、合唱曲の制作者の指揮のもと、リハーサルは進んだ。 今回の合唱のためのオリジナル曲を、参加者で歌

          白と青の記憶 ~光州への旅の記録6

          分かち合う心~光州への旅の記録5

          光州への旅の記録1~4の続きです。 ☆☆☆ 光州に来る前、聞いた話があった。 ここ光州では、だれもが、だれに対しても「お腹すいてない?」とチュモッパや食べ物を分かち合う精神が根付いているらしい。 光州に来る前に見た映画「タクシー運転手」にも、オモニが、そこにいる人の空腹を心配し、チュモッパを分け与える描写があった。 光州に降り立ってから、触れ合う人々がとても優しいと感じた。 乗車したタクシーの運転手さん、お店の店員さん、ゲストハウスで出会う人々。 光枝さんと長女が光

          分かち合う心~光州への旅の記録5

          未来の末裔にどんな世界を生きてほしいのか~光州への旅の記録4

          光州への旅の記録1~3の続きです。 ☆☆☆ 今回の旅のきっかけをくれた美術家の山内光枝さんと、美しいゲストハウスで合流した後、光枝さんの作品制作のための活動に同行する。 この日5月17日は、光州民主化運動から44年の、光州民主化抗争記念式典を翌日5月18日に控え、旧全羅南道庁前広場とその周辺で、前夜祭が開催される。 旧全羅南道庁前広場に続く通りに到着した。 光州に来る前に、見た映画があった 「タクシー運転手」と「光州518」。 映像の中に見たあの風景が目の前で3D

          未来の末裔にどんな世界を生きてほしいのか~光州への旅の記録4

          同じルーツ、どこかから来た他者 ~光州への旅の記録3

          光州への旅の記録1~2の続きです。 ☆☆☆ 2024年5月17日。 釜山から光州へ向かう。 夜が明け、ホテルを後にし、釜山地下鉄1号線の始発に乗り込み、終着駅老圃駅へ。 老圃駅改札を出て、すぐに接続する高速バス乗り場。 無人のコンビニでドリンクを購入し、3時間のバスの旅に備える。 朝の7時に発車した高速バスはすぐに高速道路に乗り、目に入る風景は、釜山の街並みから、のどかな田園風景に移り変わった。 昨日のオレンジ色の夕焼けが予感させたとおり、青い空が広がる。 田植え

          同じルーツ、どこかから来た他者 ~光州への旅の記録3