奢られない人
去年くらいに、男女間でのお会計をどうするか的なことでいろんなところで議論がされていた。
僕の結論として、
払える人が払えばいい。
そこには男だからとか女性だからとか考えるのがもったいないというか無駄な時間なんじゃないかなって思う。
なぜ、この無駄な問題に世間があんなにも騒いだのか。
今回はそれを書いていこうと思う。
よかったら最後まで読んでくれると嬉しみが深海。
お金を使えない人が多すぎる
僕と同世代の人を観察していると、大きく欠落しているなと思うところがある。
それは、お金に対する考え方やマインドだ。
僕は20歳の頃に起業家になろうと決めた時をきっかけとしてお金の勉強を始めた。
たまに、20歳の頃から自分が大きく変わったことってなんだろうと考える事がある。
そして周りとの違和感も感じる事がこのお金に対する考え方やマインドの違いだった。
お金の勉強をして何よりもよかったなと現状で思うことは、自分にとって正しいお金の使い方を知れたことだった。
何にお金を使えば自分は喜びを感じられるのか。
逆に、何にお金を使った時に不幸になるのか。
これを知るためにお金を使えるようになった事が大きく自分の幸福に近づく事ができたと自負している。
今の20代は、ひたすらにお金を使わないことを選択してしまっていると感じる。
だから、無限に満たされないことにお金と時間を使い、朽ちていってしまっている。
お金を何にどうやって使うのか。
これは誰でもすぐに変えられることだ。
でも、これは誰も教えてくれない。
結果的に、お金を使うこと自体が悪になる。
それが、この奢り奢られ論争の始まりなんだと僕は思う。
お金を使う人はこの論争自体が謎でしかないはずだ。
僕はそうだった。
お金を使えば、この問題なんてマジで時間の無駄ってことはすぐに理解できると思うので、お金を使いまくって欲しい限りである。
ただ、これを違う視点で見ると面白い事がわかった。
お金があるのにお金を使えない人がこの世にいる。
この人たちはなぜお金を使わないんだろうか。
そこに強く興味があった。
なぜなら、僕の知る限りのお金を持っている人たちは沢山お金を使っているんだ。
でも、世の中に視点を向けると意外とそれは非現実的なことだった。
僕がいる世界と僕がいない世界のお金を持っている人は何が違うんだろうか。
結論、対して変わりはない事がわかった。
これはシンプルに僕がそこにはいて、僕がそこにはいないっていう事だった。
僕は、今まで27年間生きてきて、相当お金を使ってもらって生きてきたと自負をしている。
母子家庭で周りを見渡した時に、
なんか沢山お年玉もらっている人がいたり
最新のゲームを沢山買ってもらったりしている人を見て、
なんで俺は全然もらえねえーんだよ!!!って思っていた。
しかし、今振り返ると、しっかりちゃんと生活をさせてもらっていた。
贅沢はできないけど豊かな暮らしは母の力によってできていたんだ。
今も、周りの人に助けられながら生きていけてる。
自分でお金を使えるようになって、今までお世話になった人にやってもらったことを自分も人にできるようになりたいと思った。
今まで色んな人に奢ってもらったから、僕も色んな人に奢ってみたいと思った。
尊敬している人に言われた事がある。
『俺が、お前にしてあげたことは、誰かにやってあげろよ』と。
これはすごく大切にしている言葉の1つ。
それで、率先してお金を使うようになった。
今じゃ、無意識レベルでできるようになった。
相手が誰であっても。
それができるようになったことで知れた事がある。
それは、
奢ったことで自分が幸せになれる人と、
奢った事で損したな〜と思う人がいるって事だった。
同じ金額を僕はAさんとBさんに使った。
なのに、この人にはもう奢りたくないと感じる人とこの人にはいくらでも奢りたい!と思う人がいたんだ。
これに気づいた時に、この世の中の多くの人は奢られることに慣れていない人が多いことを知った。
僕は、奢ってもらえる環境でずっと生きてきたから、なんとなく奢ることって当たり前にすることだと認知していた。
だから、奢られることも奢ることもなんの抵抗もない。
でもこの社会では、奢られるという経験をしている人の方が少ないんだ。
これは革命的な発見である。
奢られた事がない人間が、人に奢ることは相当難しいことだと思う。
奢ってもらえる事がどれだけありがたいことですごい事なのかを本質的に理解をしていないからだ。
奢られた事がない人に奢ると、みんな同じ反応をする。
それは、使うはずだったお金が浮いた!ラッキー!的な反応をするんだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
自分がお金を使うことを前提として損なことだと認識しているため、それが免れた!としか思えないんだ。
その人が、浮いたお金を自分以外に使うことはないだろう。
そうゆう反応しか取れないため、その人に奢ってくれる人はおそらく現れないし今後も自分の力だけで生きることになる人生は確実だと思う。
僕の考えだと、奢られたことない人たちが、今回の奢り奢られ論争に参加をしていると感じている。
これからの時代での生存戦略として重要なのが
共存
だ。
お互い助け合い支え合う関係をどれだけ作れるかがこれからより変化が加速する時代で生き抜くのに必要なものになると確信している。
そうなる未来で、奢られない人間性の持ち主は相当辛い目に遭うだろう。
僕は、それを回避するために今から行動することが大切だと思う。
今から奢られる人間になるには、
明るく元気にリアクションをする
ことだ。
愛嬌があり、事細かく感謝を伝えることを習慣にする。
相手がどうしたら喜んでくれるかを常に考えること。
これで、少なからず奢ってくれる人は1人は現れる。
それよりも即効性が高い方法は、
自分から奢る
ことだ。
やっぱり、自分から与える事が一番早いし学びにもなる。
そう考えると、お金の勉強をした方が全ては解決するんじゃないかと感じる。
お金に囚われずあなたが望む人生を歩めますように。