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厳しく育てられた人は不利だと思っていたけど、いいこともあると思う

私の親はスパルタ教育をする人でした。あれもダメ、これもダメ、100点満点じゃないとダメ、エリートにならないとダメ、いい大学を出て誰もが知る有名企業に勤めろと怒鳴られ殴られ育ちました。

だから厳しく育った人は不利だとずっと思っていました。甘やかされた育った人や、経済や教育で恵まれた環境で育った人を羨ましがっていました。

でも実は厳しいことにもメリットがあるんじゃないかと最近は感じています。それも踏まえて整理してみようと思います。

厳しすぎることが不利な点

自己肯定感が低くなる

厳しい家庭では常に100点満点が求められます。99点を取っても「なんで100点じゃないの!」と怒られます。

高校のとき、偏差値69を取っても褒めてもらえませんでした。それどころか「〇〇ちゃんは旧帝大で慶応が滑り止めだって」と優等生と比較されました。

1番じゃなきゃダメ、満点じゃなきゃダメ、ミスが1つでもあってはダメ、優秀な人との比較が日常でした。減点主義で、いくら頑張っても褒められませんでした。

小学生の頃から勉強の教材を与えられ、中学生の頃から怒鳴られながらの勉強漬けを強要されました。だから勉強が大嫌いになって落ちこぼれてしまい、中学校の成績は1だらけで高校すらいけなくなってしまいました。

これでは自分はダメなんだとしか思えません。

人に合わせることばかり気にするようになる

親が厳しくて説教ばかりするので、親に怒られないように顔色ばかり窺うようになりました。こうして自己主張が身に付かず、他人の主張に合わせる癖がついてしまいました。

能力が育たない

子供の頃は色々なことに関心を持って、色々やりたいというものです。しかし私の親は学校の勉強以外は無駄と切り捨てました。遊ばないで勉強しろと何度も怒鳴られました。

私の世代がいい大学を出ていい会社に入ることが王道とされ、それができれば人生バラ色という世代のため、親も子供のためを思ってそういう人生を歩ませようとしたのです。今風に言うと毒親ともいえますが、親心でもあるんですね。

今では好きなことを好きなだけやらせた方が能力が伸びると言われています。そうやって自信や自己肯定感も高まるでしょう。

自分の意思は認められず、親がやりたいことだけやって、親の期待に応えるためだけに生きているというのは、自分の人生ではなく親の人生を生きているわけですね。

親が子供に過剰な期待をすると、子供は親の代わりとなります。子供には子供の人生があるので、自由にさせた方がいいんじゃないかと思います。思いますとか言ってるけど、願望ですね。

厳しすぎることが有利な点

誠実さが身に付く

私の親は学校の勉強にはとても厳しい人でしたが、人に対する態度にもとても厳しかったです。

大人になると、特に仕事では人としてどうなの?という人が必ずいます。嘘をつく人も世の中にはいますし、仕事においては責任のなすりつけ合いなんて日常茶飯事です。自分のことしか考えていない、保身に走るなども仕事では普通に見かける光景です。

しかし厳しい家庭では礼儀マナーを徹底的に叩きこまれますので、嘘や他責、保身などはしなくなります。

私は人柄がいい、誠実とよく言われます。自慢っぽく聞こえるかもしれませんし、実際に偉そうでムカつくと怒り狂ってケンカを売ってくる人もいます。

採用面接で人柄がいいと言う評価をいただいたことも何度もあります。これは親が礼儀マナーにうるさくて小学生の頃から叩き込まれたからだと思っています。

誠実で礼儀マナーができていれば、多くの人から人柄がいい人として受け入れられます。もちろん先ほど書いたように、いわゆる性格の悪い人は嫉妬してケンカを売ってきます。しかしそんなのは少数で、大多数の人は性格がいい人の方がいいのです。

スキルではなく人間面で多くの協力者を得られるというメリットがあるのです。だからスキルで勝る人が、「なんでスキルが低いヤツが優遇されているんだ!」と怒ることもあるのですが。

主体性が身に付く

厳しい家庭では与えられないのが当たり前です。甘やかされて育った人は、親が何でもかんでも与えてしまいます。恵まれた環境では、欲しいものが手に入って当たり前でしょう。

しかし厳しい家庭では望んでも手に入りません。ただただ勉強しろ勉強しろです。与えられるのはせいぜい勉強の教材くらいですね。

それに私の家庭は田舎で貧乏だったので、教育にお金をかけてもらうことなんて当然できませんでした。だから家でひたすら大量に勉強することになったわけです。

しかし貧乏で厳しい家庭では、与えられないのが当たり前ですので、大人になると自分で勝ち取るという考えができます。

世の中を見渡すと、政府が悪い、社会が悪い、会社が悪い、家族が悪い、上司が悪い、同僚が悪い、部下や後輩が悪いという話は尽きません。

そんなことを言っている暇があったら、自分が何か行動して変えてみたらどうだ?と思うのです。自分で行動して望むような形にしようよと。

子供の頃から与えられて当たり前では、政府や社会や会社、周囲の人間が与えてくれて当たり前という考えになってしまうのでしょう。

社交性が身に付く

私の親は礼儀マナーにうるさい人だったため、礼儀マナーについて徹底的に叩き込まれるだけでなく、子供の頃から親の会社や親族の集まりに連れていかれました。そしてちょっとでも行儀が悪いと怒られました。

しかし子供の頃から色々な人が集まる場所に連れて行かれると、知らない人とも遊ぶのが子供です。今思えばこうして社交性が身に付いたのかもなと思います。

私は成績は底辺でも学校には仲が良い人が多く、毎日のように勉強をサボっては友達と集まって遊んでいました。家にいると勉強しろとうるさかったからです。

大人になってみると、社交性が高いと仕事でも社内・社外問わず仲良くなれたり、プライベートでも色々なコミュニティに入って行けたりします。

私はお客さんや他のシステム会社との調整が必要な仕事を長年やっているのですが、こういう仕事は非社交的な人にとっては大変だと思います。

終わりに

冒頭にも書いたように、私は甘やかされて育った人、裕福な家庭で育った人をずっと羨ましがっていました。

子供の頃から欲しいものが手に入るのが当たり前で、好きなことをやらせてもらえ、思う存分に能力を伸ばせたらどんなにいい人生だっただろうかと思ったものです。

大学では家柄がいい人が沢山いましたし、上京してみたら田舎出身という理由で都会出身者にバカにされました。都会出身の方が格上、自由に育った方が格上とバカにされ、ものすごい劣等感を感じたものです。

でも何事も良いこと悪いことがあるのです。悪いことに目が向きがちですし、そういう点を指摘してマウントを取ってくる人もいます。しかし良いことに目を向けて生きていきたいものです。

良いことに目を向けるという点では、「自分を殺すな、武器にしろ」という本もいいですね。

これを読んでいるみなさんの中にも、もしかしたら家庭環境で不利な点があった方がいらっしゃるかもしれません。

でも逆境などから得られるものもあると信じて頑張りましょう。


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