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エッセイ506.メリー・ポピンズは「すん」としない

以下、「寅に翼」をご覧でない方には申し訳ありませんが、
今回、寅子については、起承転結の

起点だけに止まりますので、
お時間があれば、よかったら読んでくださいね。

「寅に翼」第10週ぐらいから、寅子が「すんとする」場面がいくつかありました。

「すんとする」というのは、
常に頭を上から押さえつけられていて、
財産権も決定権もなかった旧民法の元で生まれ育った女たちが、
とりあえず平和に生きていくために身につけてしまった
「忖度いっぱいの大人しい態度」
のことらしいです。

弟の進学費用調達と家族を養うため、一度は諦めた法曹界に戻ろうとする寅子。
子供を母や義妹に預けての就職活動の間、どうしてもすんとしてしまう自分に気づかざるを得ないという。
見ていて悔しかったです。

寅子は若い頃から、おかしいと思ったことは一度立ち止まり、落ち着いてよく考えてみるという習慣がある人です。
私のように、ガオ〜! っといきなり飛び出して、自爆するのとは違います。

寅子の「はて?」というのは、よく考えようと思うときに発せらせた、キューなのだと思います。

さて、話が飛びますが、ここに私の大好きなディズニー映画「メリー・ポピンズ」があります。
最近のリメイクのほうではなくて、ジュリー・アンドリュース主演の方です。
観たことはなくても「チム・チム・チェリー」など数曲を聞いたことがある人は多いでしょう。

私も何度見たかわからないほどの大好きな映画ですが、残念ながら、
「はて?」
と言いたくなるところがあります。

まず、原作と大いに違うのは、メリー・ポピンズを雇うことにした理由です。

原作は、ジェーンとマイケルという年の近い姉弟がいるところへ、ぐっと年の離れた双子が産まれ、お母さんがいっぱいいっぱいになって、階段でハンカチに顔を埋めて泣いているところから始まります。
ジェーンとマイケルが、わんぱくすぎてそれまでの乳母さんが辞めてしまったのです。
それで、ナニーを雇うことになったのでした。

バンクス家は全然貧しくありません。
お父さんは大手銀行に勤め、桜通りという住宅街に戸建ての家があります。
そこには中年と若い女性の二人のメイドさんがいて、その他に料理人、雑事をしてくれる若い男性も住み込みです。
五人の使用人です。

原作では、お母さんがワンオペ(じゃないけど)で、もたなくなってしまったので、メリー・ポピンズが雇われるのですが、映画の方のお母さんは一家で一番サバサバしていて、「わたし、サバサバしているんです」という自覚を持つ多くの人と同様に、あまり人の話を聞かないし、自分だけ気分がいいという感じの人です。

このお母さんが、女性参政権運動に参加していて、「家庭を顧みません」という設定です。
なので、映画では、最初の方から、
「それ、お母さんとしてどうなのよ」
「子供たちがかわいそうですよね」
という描き方をしています。

私は、錦糸町の江東花月劇場で、リバイバルでこの映画を観た子供のときから、
「え〜なにそれ」
と思ってしまっていたのでした。

映画の中ではいろいろ楽しいことがありまして、仕事ばっかりのお父さんも、一度は職場で挫折を味わうけど立ち直り、ひとまわり大きくなって家庭に回帰してきます。
そこでもう、メアリー・ポピンズは、この家でするべきことはしたということで、去っていこうとしているエンディングが近づきます。

一家は、お父さんの提案で「凧を揚げに行こう!」ということになります。
子供たちは、全然遊んでくれなかったお父さんからそう言われて大喜び。

するとお母さんが、
「女性にも参政権を」とか多分書いてあるのでしょうが、
肩から掛けていたタスキを外し、
「凧には尻尾が必要でしょう?」
とお父さんに渡す。

これは、

やっとこのお母さんも目が覚めて、
女性が政治に首を突っ込むのをやめ、
良き妻・良き母に戻って来たんだね、よしよし!

と思っているつくりに、どうしても見えてしまいます。
最初からお母さんの浮かれぶりもあり、なんだかなぁと思わせるようにしていました。

私はここだけ、興醒めになってしまいます。
でも、そこが時代というもので、仕方がないのでしょう。

そんな家族を見て、メリー・ポピンズはすっかり荷物をまとめ、何も言わずに出て行こうとしています。
そこへ、ポリー(メリー・ポピンズの傘の柄になっているオウム)が言います。

この通りではないと思いますが、

メリー・ポピンズ、これでいいの?
あなたのおかげでこうなったんじゃないか。
何も言わないで行っちゃうの?

的なことを。

そのときのメリーの微笑みは、映画全体で見せていた、厳しいか、弾けるように笑っているか(特にマッチうりのバートと踊っていたりするとき)のどちらの表情でもなく、わかりやすく、優しく、そして寂しそう。

メリーはドライかつ、クールなナニーなのですが。

メリー・ポピンズは、サンタクロースと同じで、で忙しいのです。
何冊かあるシリーズの中で、出てくる他の子が
「メリー・ポピンズ、また会えた!」
と言ったりするところから、メリーはあっちこっちに同時にいて、
多くの子供に会っているようです。
いちいちセンチメンタルになっているわけにはいきません。
(と、私は思っています)

一件片付いたら次!

だって、寂しい子供、困っている子供はたくさんいるのだから。

原作ではいつも厳しく子供に接するメリー・ポピンズは、映画ではこんなふうにしっとりして、情感にあふれています。
それはそれで良いけれど、原作とは一味違います。



私が昔映画の「メリー・ポピンズ」の監督で、
好きにできるのなら、こんなふうにしますという妄想です。


お父さんが生まれ変わったように陽気になり、
みんなでさあ、凧を揚げに行こうと言い出す。

お母さん:あらまあ。一度で終わらなきゃいいんですけど?
お父さん:失礼な。一回で終わるもんか、今日から始まりだ。お前も行こう。
お母さん:はいはい、行きますよ。
お父さん:今日は国会前のデモじゃなかったかい?
お母さん:仲間が育っていますから、
       今日私一人行かなくても、なんていうことはありません。
      みんな揃って公園なんて、ありませんでしたからね。
      さ、行きましょう。
      ・・・・あら、凧には尻尾が要りますわね。
お父さん:そうだな。
お母さん:あなたあの、勤続30周年記念に銀行からいただいた、
             あのタイを持っていらっしゃいな。
お父さん:そうだな。エレンに取ってこさせよう。エレン!
お母さん:聞こえやしませんよ。
                 どうせ家まで戻るんだから、あなたが取っていらっしゃいな。
お父さん:そ、そうか。そうだな。

なんてね。

メリー・ポピンズはそんな一家を確認して、一瞬唇の端で微笑むと、
もう気持ちは前を向いている。

「ポリー、次は?」
「次は・・日本だな。
     あの政治の無駄の多い国で、子供の七人に一人が相対的貧困というのだから」
「じゃ、私一人では到底足りないわね。姉妹たちを呼び寄せてちょうだい」
「かしこまり!」

私は、メリー・ポピンズのようにドライでクールでもなく、
寅子のように「はて」と沈思黙考することもできなかったので、
気持ちのままに瞬間湯沸かし器、その場で意義を申し立て、

「そんなにおっしゃるなら、出馬なさったらいかがですか」

と、友達の先輩の男性に、嫌味たっぷりに言われたことがあります。
あのときのあのかたの、あのアフロヘアと皮肉に曲げた口は忘れません。

地球は温まり続けて、2023年には実は、後戻りのきかないtipping pointを通過したという学者も、いやまだまだ、なんとかできるという人もいます。

私は寅子のように、四面楚歌に見える社会でも諦めない人が、
じわじわ増え続けてほしいなあと思います。

それにはやはり、ご一緒に・・

はて?

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