エッセイその87. 翻訳の沼(1)昔の翻訳と食べ物①
私は日本語教師になりたいと思うまで、結構長い間、翻訳家を目指していました。
いや、今でもなりたいですよ。
夢として、死ぬまで抱えていくことでしょう。
仕事としては頼まれればやっていますし、コンクールにも応募してちっちゃい賞をいただいたり、ネットマガジンでもデビューしました。(ちょっとやっただけで尻すぼみ・・)
私が翻訳家を志したのは、昔のこととて情報もありませんし、本当に何も知りませんでした。高校生でしたし。
文学の翻訳はなりたい人が多く、先生の下訳で終わることが多いこととか、本当に需要があるのは特許・法律・医学・ITその他の専門分野であること。
そんな常識的なことも知らず、一生懸命訳し続けていました。
英語も喋れない高校生が、辞書を片手にコツコツ毎晩2時間、机に向かおうと、到底なれるものではなかったのですが、好きなことがあるのは楽しかったです。
今でも楽しいです。
最初に「あれ?」と思ったのは、児童文学の翻訳でした。
子供ながらに、なんとなくこれは違っている・・ように感じる部分があったりとか、言葉遣いが古色蒼然としすぎている・・出版年を見るとすごい昔だ、みたいなことがあったからです。
本格的に翻訳家を目指すようになってから、愛読書の、
くまのプーさんシリーズ
メリー・ポピンズシリーズ
ナルニア国物語シリーズ
のオリジナルを買い、昔「あれ〜?」と思った部分を見てみましたら、
これ、違うよね?
これ、ひどいよね?
とまあ、私でもわかる誤訳があり、なんかスイッチ入って、自分で訳し始めました。
そうしたら当たり前ですが、自分にしっくりする文章が書けますから、とても気持ちがよかったです。
それがすごく面白くて、翻訳の沼にはまったという経緯があります。
その後、誤訳について書かれた本をたくさん読み、また、翻訳の世界 という雑誌なども読むようになり、私にとって翻訳が、ますます面白いものになっていったのでした。
いろいろ読んで学んだのは、以下のことです。
・直訳がダメであるということ、
・意訳の行き過ぎも逆に違う意味で良くないこと。
・原文が透けて見えるような文は良くない翻訳であること。
・翻訳者が、自分も小説を書けるぐらいのセンスがないといけないこと。
・母語(私だと日本語)から ターゲット言語への翻訳はできないこと。
できなくはないですが、プロの翻訳家はターゲット言語から母語への翻訳を主にしています)
洋画などの吹き替えに、冗談ネタにされてしまうほどの独特の言葉遣いや喋りかたがあることは今ではみんな知っていることです。
翻訳にもそれがあります。
私が大人になってから翻訳物の小説がなかなか読めなくなったのは、翻訳臭のあるもの、原文が透けて見えるものに出会うことが多くなったからです。
歳をとって、気難しくなったこともあるでしょう。
と言っていても、私がじゃあ、完璧な翻訳ができるのかというと、できません。
これは、単純に翻訳物に対する「舌」が、知らないうちに肥えてきていた、ということかもしれません。
例えば、料理ができなくても、料理批評家になることはできるかもしれない。
味わうことはできるので。
私の気難しさも批評も、そういうことのようです。
今日から少しずつ、翻訳の沼で楽しく足掻いている私の思ったことを書いていきたいと思います。
初回の今日は、子供の頃にびっくりしたことです。
「ナルニア国物語」は、図書館で何回も借り直して読みました。
その中で、「いくらなんでも違うのではないか」と思ったのは、食べ物について。
第一巻 ライオンと魔女
でどっぷりはまって読み続けた人が多いと思いますが、今の人たちは映画で「ナルニア」に出会ったのですよね。(ちなみに、NZロケだそうです)
次男のエドマンドが、魔女に何でも好きなものを食べさせてあげる、と言われて答えたのが、
プリン!
プリン。
プリンとな・・・。
ないだろうそれは。
(ちなみに当時の私にとってのプリンは、母が「ハウスのプリン」の粉末を溶かし、型に入れて冷蔵庫で冷やし固めたもので、できてから別袋のパウダーを溶かしたとろみソースをかけるものでした。デパートのお好み食堂で食べる焼きプリンと全く味が違うのが不思議でしたが、それなりに好きでした)
ともかくこの、
プリン!
に、読むたびに引っかかったのですが、自分で本が買えるようになってペーパーバックを買ってみたら、プリンと訳されたそれは、
Turkish Delight
というお菓子なのでした。
ト・・トルコのヨロコビ?
こちらです。
これは、結婚してからNZに行ったら全然普通にあるもので、言うなれば、信州上田銘菓「みすゞ飴」に粉砂糖をまぶしたようなもの。
おいしいか〜?
魔女に魂売るほど、おいしいか〜?
と大人になった私はいぶかったのでした。
だって次男エドマンドったらこうだもの。
ターキッシュ・デライトが好き過ぎでしょう。
そうか〜、イギリスってあんまりお菓子が美味しくないのね!
と、失礼ながら私は思いました。
信州上田周辺の銘菓「みすゞ飴」は、大人になってから好きになりました。
本当に結構、果汁が入っている気がするんですけど、どうなんでしょうか。
しかし今思うと、「ターキッシュ・デライト」が当時の日本になかったとはいえ、似たものだからと言って、
「みすゞ飴が好きなだけ食べたい!」
と、イギリス人の少年に言わせるわけにはいきませんでしたよね。
枝道にあちこち引っ掛かり、また長くなりました。
これがまさに、後年買ってもらった、箱入りの岩波少年シリーズ。
本当にイラストが素晴らしかったです。
翻訳に現れた食べ物についてはまだあるため、続きます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
追補:
今ふと思い出してDrop Boxを遡ってみましたら、
日本で食べた最高においしいターキッシュ・デライトの写真がありました。
それは、10年前、名古屋に越してきて寂しくて仕方なかったころ、
東京の友達R子ちゃんが、お土産に携えて訪ねてくれたのでした。
多分日本製。
美味しくて家族と奪い合いになりまいした。
R子ちゃん、あのときのミニバラは、少し大きくなって、
毎年花を咲かせています。
コロナが終わったらまた会いましょう。
これです。