パートナーがうつ病になったら
初めに言いたいことは、うつ病患者を支える人達へ多大なる賛辞を送りたいという事である。自分が生きていくだけでも困難の多い世の中で、誰かを支えて生きていくことはとても苦しい。特にうつ病のパートナーを支えるということの苦しさは計り知れない(実体験として苦しかったし、今も苦しい。)。患者自身の生きたいという気力は、支える側のモチベーションを支えるためにも必要なものである。極論を言えば、どんな状態であっても生きたいと強く思っている人間を援助する方が、支える側もモチベーションを保てるというものである。うつ病は、その気力を根こそぎ奪っていくものであり、とても厄介で恐ろしいものなのである。
このnoteの目的は、うつ病を支える人の心が少しでも晴れやかになることである。そのために、僕自身の体験を元にうつ病を支える人が持ちうる負の感情について記していこうと思う。パートナーを支える中で僕を一番苦しめた事は、自分の中に湧き上がる負の感情の存在であった。もちろん、パートナーに対して愛情はあるし、助けてあげたいという正の感情は存在する。またパートナーの苦しさも理解しているつもりである、隣でずっと見てきたからこそ、、、。ただし一方で、被害者づらしてんじゃないよ、泣きたいのはこっちだよ。一日仕事してきた僕が、一日寝てNetflix見てた人間のご飯を作るっておかしいでしょ、、、という負の感情の発生は止められない。
そんな事を思ってしまう自分にも嫌気がさす。本当は純度100%の気持ちで支えてあげたいし、他の人たちはそうしているのではないか?自分だけがこんな感情を持ちながら、支えているのではないか?僕はなんて浅はかな、心の狭い人間なんだと自己嫌悪に陥る。
それらの諸悪の根源は、一般流通しているうつ病を支える人のための心得的なものである。「患者にはひたすら優しく、仏のように寛大な心で接しましょう」というようなもの。これが支える人を苦しめている。2-3日の超短期間であれば可能かもしれないが、数ヶ月〜数年にも及ぶ長期間においては、それは現実的ではないからだ。その文言の隣にデカデカと「支える人もとても大変です。負の感情も生じます。無理はせずに、第三者に助けを求めましょう」と書いておくべきである。
僕が浅はかな人間を代表して、僕が抱えた負の感情を共有したい。加えて、負の感情に対してどのように対処したかを共有できたらと考えている。人間が苦しい時に一番助けになることは、自分と似た人の存在である。自分だけではなく、他にも同じ境遇で頑張っている人がいるという「存在」が、不思議なことに心の救いになる。その存在を知ってもらうための文章である。
とりあえずこのnoteに辿り着くような人は、今とても苦しい人だと思う。負の感情を持つことは当然だし、そんな中で毎日頑張ってとても偉いということを自認して、今日はハーゲンダッツでも買って食べて欲しい。