懐かしむという行為は、大人に許された至高の娯楽である。
昔使っていたPCのHDDのバックアップをしなければならないと頭の片隅にずっとあった。どうやって写真や動画のデータのバックアップをとるか、これは現代人の抱える課題である。最近は全てクラウド上に保存するようにしている。金はかかるがそれが一番確実であると思っている。そのくせ、収納スペースの奥の方でデータ移行を終えていないHDDがたくさん眠っていた。早く移行しなければ、データが消えてしまうかもしれない。そんな危機感はあったが、面倒臭さという巨大な壁がそこにはあった。しかしいざ始めてみると、なんて楽しいのだろう。自分さえ覚えていなかったことをPCが覚えている。それに釣られて僕も思い出す。不思議である。だいたい僕たちは思い出さないからと言って、忘れているわけではない。PCが思い出させてくれたことは、僕は忘れておらず触れていなかっただけなのだ。きっかけさえあればあの頃の記憶が昨日のことのように思い出される。あの頃の匂いまでも思い出す。
子供の時は、懐かしむという行為の良さが分からず、何なら馬鹿にさえしていた。大人帝国の逆襲で風間くんも「懐かしいって、そんなにいいものなのかな」と言っていた。風間くんに同意していた僕も、今なら懐かしむことの良さがわかる。
年に一回会うか合わないかの学生時代の友達と会えば、毎回同じ話をしている気がする。そして毎年同じように笑う。それもいいものだと最近は思う。
10年前の自分がこの文章をみればジジイかよと突っ込まれてしまいそうであるが、昔を懐かしむというのは大人に許された娯楽なのだ。子供がその楽しさを分からないのは仕方ない。歳を取れば取るほどその楽しみは増える。これは歳を取ることの楽しみのひとつに違いない。
学生の頃を少し思い出すだけで楽しいのだから、80歳になった時に20代のことを思い出せば、楽しすぎて白目むき、歯のない口からヨダレを垂らすだろう。その頃には僕にも孫がいるかもしれない。白目を向いた僕を見れば、孫は僕がボケたと思うはず。「お前にはまだ分からないだろうよ」と白目を向きながら孫にそう言うのである。孫がいれば、、、
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