三毛猫と博士
《三毛猫》ミャア15歳|《飼主》博士(人間環境学 九大)・立命館大客員教授|著書『高学歴ワーキングプア』『お寺さん崩壊』『子どもの道くさ』 他| 猫・仏教・赤提灯・道くさ・寺社・本| Twitter@syakusanjiki
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仏縁で出会えた猫について存分に魅力を語る動画作ってみた
その猫は、ある日、僕の前にふらっと姿を現しました。ファーストコンタクトでは体を寄せてくる程度で、撫でようとしたらスッと向こうに消えました。二度目に、少しだけ背中を撫でさせてくれました。三度目になって、餌皿からカリカリをついに食べてくれるようになりました。 思うに、こちらの様子を窺っていたのでしょう。こいつ、大丈夫かにゃ?って感じで。 幸運にも自分は猫チェックを通過できたようで、それからはかなり距離が縮まりました。へそ天などもしてくれるようになり、その凄い懐きようにふと思ったんですよね。もしかして、亡き愛猫が来てるんでは……なんて。 そう思ってしまうと、この仔がちょっと特別になってしまったんです。 会えばこの仔はとても嬉しそうに尻尾を振ってくれるんですが、それは僕も同じで、尻尾こそないものの何やら体がむずむずと、猫さんと似たような喜びの表現を自然にとってしまうのです。 餌などをあげていると美味しそうな顔をするその猫を見て、「この仔がちょっとでも幸せを感じてくれたら嬉しいな」などと心の中で願ったりしてみるのですが、よくよく考えてみるに、実は自分こそがその猫との触れあいの中で喜びをわけてもらっているわけで、〝願われている〟のは僕のほうなんじゃないか、なんてハッとしたりするんですね。 そういうことに思いを馳せるとき、僕はこの仔と仏縁で出会わせていただいたんだろうなと、その〝おはたらき〟に何やら深い感謝の気持ちが湧いてくるのです。 そんなことを、綺麗な風景と共に動画にしてみました! 合掌