世界史 その27 エジプト第18王朝前半
エジプト第18王朝は大ピラミッドの第4王朝、クレオパトラのプトレマイオス朝をも凌ぐ、エジプト史上最も人気のある時代だと言えるでしょう。トトメス3世とハトシェプスト、アクエンアテン(イクナートン)とネフェルティティ、ツタンカーメンとエジプト史上のビッグネームが歴代の王に名を連ねます。業績ではなく、現代での知名度という意味での評価ですが。
それではその26で纏めたイアフメスのエジプト統一以降を纏めていこうと思います。
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イアフメスはヒクソス勢力を壊滅させた後再びヌビアに親征し、中王国時代の国境を越えて第2急湍と第3急湍の間までを勢力下においた。ヌビアの領土は国王の直轄地となり、総督が置かれた。続いて国内の統制にも成功し、中央集権国家の体制が整った。
2代目のアメンホテプ1世の治世には官職・神官職売買の文書が姿を消し、王が地方の行政機構まで任免権を掌握したとみられる。アメンホテプ1世はまた第15王朝末期の王アペピの娘ヘルタを妃として、第15王朝がパレスティナの諸都市に持っていた宗主権を主張した。ただしアメンホテプ1世の治世にパレスティナをエジプトが攻撃した記録はない。この時期イェリコなどが攻撃され放棄されているが、これはパレスティナ内での抗争によるものとみられている。
3代のトトメス1世の時代、初の大規模なシリア・パレスティナ遠征が行われる。シリア・パレスティナの多くの都市に宗主権を持っていたミタンニの勢力を排除し、オロンテス川沿いのカルケミシュまでを一時勢力下においた。この戦勝を記念してカルナックの神殿が拡張された。またヌビアでは、クシュの首都ケルマに約30kmの第3急湍まで、勢力が拡大された。
トトメス1世の時代には王の葬儀についても変化があり、「王家の谷」に王墓が作られるようになる。
トトメス2世の短い治世の後、幼少のトトメス3世が即位、トトメス2世の正妃・ハトシェプストが摂政となる。ハトシェプストはすぐに父・トトメス1世から共同統治者の指名をうけていたと主張し、自らもファラオとしてトトメスとの共同統治を行った。ハトシェプストとトトメスについては小説・漫画の題材として非常に多彩なイメージが紡ぎだされている。これらのイメージと考古学的・文献学的な証拠から導かれる実像とを比較していく作業は今の僕の手に余るが、「教養としての歴史」として実際の歴史と人々が各時代で「このようなものだった」と認識していた歴史の双方を総合的に把握するという目標のためには、いつか挑戦してみたいテーマである。
トトメス3世は在位22年頃から単独統治に移る。この時期ハトシェプストが亡くなったのか、失脚したのかは不明である。トトメスは単独統治開始から半月でパレスティナに自ら兵を率いて遠征した。ミタンニの宗主権の元でパレスティナ諸都市が結んだ対エジプト同盟の中心都市だったメギドに目標を定め、敢えて狭い峡谷を通ることで奇襲を成功させて同盟軍を破ると、7か月の包囲の後にメギドを陥落させた。トトメスは22年間に17回のパレスティナ・シリア親征を行っている。それまでの宗主権を認めさせる統治に代わり、トトメス3世は占領地に監督官を派遣し貢租を徴収した。
カデシュの君主は第1回目のメギドの戦いで降伏したが、カデシュはその後もミタンニの影響下で反エジプトの策動を続けたため、第6回遠征でエジプトに占領される。第8回遠征ではエジプト軍はユーフラテス川を越えメソポタミアに入ったがミタンニ軍が対決を避けたため、ユーフラテス川沿いに境界碑を建てた、帰路で再びカデシュを占領した。この遠征後、カッシート朝バビロニア、アッシリア、ヒッタイトがエジプトのシリア支配を承認する使者を送っている。その後もカデシュはエジプトに背き、トトメスは遠征を繰り返して17回目の遠征でついにオロンテス川までの支配権を確立した。シリア・パレスティナは3つの属州に分けられ、州都は直轄地、その他の都市はエジプトに忠実な君主によって統治された。
アジア支配を確立したトトメスはヌビアに兵を進め、第4急湍まで征服しエジプト史上最大版図を実現した。占領地からは大量の黄金がエジプトにもたらされた。
トトメス3世が亡くなると再びアジアの諸都市で反乱が相次ぎ、トトメスとの共同統治から単独統治に移ったばかりのアメンホテプ2世は父王と同様にアジア親征に赴いた。ミタンニの後援を受けた対エジプト同盟軍はカデシュの南で撃破され、反乱を起こした諸都市を再び服属させることに成功した。
アメンホテプ2世の治世の後半には、ヒッタイトが台頭し北シリアのアレッポを占領したことから、エジプトとミタンニの関係は一転。長期に渉る和平交渉の後、両国が勢力圏の現状維持を基本方針として共存するようになったため、シリア・パレスティナ情勢は安定した。
次のトトメス4世の時代、両国は正式に同盟を結び、ミタンニ王女が王妃として迎え入れられる。
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エジプト第18王朝のアマルナ革命の前までを纏めてみました。
本文でも書きましたが、ハトシェプストについてはもっと詳しく書きたいところです。いずれハトシェプスト単独もしくはハトシェプストとトトメス3世で1記事にまとめたいと思います。
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