カルタゴの船乗り、ゴリラに出会う
古代の海洋民族として名高いフェニキア人。彼らは古代地中海世界においてギリシャ人と並んで海上交易に活躍した人々です。世界史の教科書では東地中海のシドンとティルスが中心的な都市として取り上げられますが、他にもビブロスなど重要都市があります。更にティルスの植民都市として生まれた北アフリカのカルタゴは本国を凌ぐ繁栄を遂げ、勃興期のローマと地中海の覇権をかけて激しく争うこととなります。カルタゴのフェニキア人はポエニ人と呼ばれることが多く、シドンやティルスのフェニキア人との関りが意識されにくい気もしますが、同じ民族です。
東地中海のフェニキア人が、エジプト王の命でアフリカ大陸を一周した話は前回の記事に書きましたが、カルタゴ人も負けてはいません。
この項目の主人公はハンノという人です。カルタゴ関係の本を読んだことのある方なら同意していただけると思うのですが、カルタゴ人名前被りが激しいです。特にマゴ、ハシュドルバル、ハンノという名前は繰り返し出てきます。故にこの人は「航海者ハンノ」と呼ばれることがあります。
彼はジブラルタル海峡を越え、大西洋をアフリカ西岸沿いに南下しました。火山についての記録から、恐らくカメルーン山の見える所まで到達してから帰還したと推測されています。大航海時代の初めにポルトガルの船乗りがなかなか越えられなったヴェルデ岬を、軽々越えてしまっているのに驚きます。
その航海記録には一つ興味深い記述があります。ある土地で現地にいた毛深い人たちと争いになり、数人を殺してしまったのですが、現地の案内人は彼らを「ゴリラ」と呼びました。19世紀に西洋人に知られるようになった霊長類がゴリラと名付けられたのは、この記録によるものですが、ハンノが出会ったのが現在ゴリラと呼ばれている動物だったのか、それとも現地人の一部族だったのか、確認する手段はありません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。前回のフェニキアの記事を書いてる途中で思い出して、記憶だよりに書いてしまったので、覚え違いがあったらすみません。後で参考になる本を読んで書き直すこともあるかもしれません。
ところでアフリカ周航やゴリラよりはるかに怪しい話として、アメリカやブラジルで見つかっている謎の文字がフェニキア文字ではないか、という話もあるのですが、現在のところ奇説の類ですね。歴史や考古学よりオカルトのジャンルで取り上げられていることの方が多い印象です。
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