『メディアはマッサージである』 読書感想文
『おはよう!』
白い皿の上に落とされた元気よく卵の黄身が挨拶する。
衝撃的な写真と言葉からこの本が開始される、一体卵の黄身がなぜ『おはよう』と呼びかけるのか、それは本書を読むことで解き明かされる..…ことはない。
ただとてもユーモラスで可愛らしいのでこの本に興味がなくてもその一文で引き込まれるに違いない。
さてこの本はマーシャル・マクルーハンという文明批評家(そんな肩書があるらしい)によるメディア理論のご本だ。
このマーシャル・マクルーハンは少し意識の高いコンピューターやカウンターカルチャー、等に重要な功績を残しそれこそメディア理論というものの立役者だ、私の場合長いこと記憶の片隅にいた人物だが長年ほっぽっていて腐っていたところ最近やっと手を伸ばす気になった。
近年インターネットの功罪が取りざたされ、またサイバネティックスやVR等の進歩が目覚ましく、これらテクノロジー関係に興味を頂いていた私はそれらの中心にこのマクルーハンという学者がいるという事を知り読むに至った。
メディアの形式が人間の感覚や認識、社会や文化に与える影響を分析していると解説には書いてあり、『あらゆるメディアは人間の心的ないし身体的な能力の拡張である』と言い切っている、この言葉がマクルーハンのパンチラインで最低この言葉を覚えていればいいかもしれない。
ここで言うメディアというのは新聞やテレビといった、一般的に想像するメディアとは違い、言い換えれば『身体的能力の拡張』されたものが全て『メディア』で有るとも言える、例えばこの本でも出しているように『車輪』は『足』の拡張であるというように。
サイバネティックス的な拡張も想像が広がり、その分野でもこの言葉は重要視されているようだが、無形のものもこの言葉によって包括され展開されていく、『文字』が発明されたことにより我々は耳などの感覚的な物から文字という視覚優位の時代を辿り、感覚や体験に基づかない合理性を作り上げたというようなことを述べている。
そしてこの後に続く有名な概念インターネットを予見した友いわれる「グローバルヴィレッジ」、「ホットなメディア」「クールなメディア」と提唱して私達の生きるこの合理的な社会に問題を提起していく。
1967年にマーシャル・マクルーハンとクエンティン・フィオーレによって出版された。
フィオーレは優れたグラフィックデザイナーとしてこの本の要所要所に斬新なコラージュや写真、ビジュアル、あるいは版組や文字の表記の遊びとユーモアを魅せてくれる、冒頭の『おはよう!』という黄身も彼の仕事だ。
文字数もそんなに多くなくサクッと読めるので、一度経験だと思って読んでみるのをおすすめしたい。
私ももう何周か読み込んでもいいと思っているので手放さないつもりだ。