BiblioTALK de KINOKO vol.027のお知らせ|2022-11-13
この告知は、うでパスタが書きます。
日付も変わって本日の2022年11月14日(月)20時から、九段下の私設図書室ビブリオテーク・ド・キノコのYouTubeLIVE配信を行います。
配信はいつものようにこの定期購読マガジンの購読者限定で、そのリンクはこのノートの最下部、有料部分に記載されていますが、Twitterのスペースでも同時配信を行いますので、そちらはどなたでも(Twitterアカウントをお持ちであれば)お聴きいただくことができます。YouTubeLIVEのメリットは、後追い・アーカイブ視聴ができることです。
スペースのURLは以下の通りです。
【Twitter】
https://twitter.com/i/spaces/1BRJjZaLrbLJw
結構ゲリラ的にというか予定より一時間半ぐらい早く始まることもあるのですが、そこは無料会員の自覚をもって耐えてください。
さて、明るい話題といってももうパンダの出産とかもいまさらですし、ロケットの打ち上げがめでたいわけでもなければ誰かの結婚を持て囃そうという時代でもありません。そうなると勢い話すことはあまりよくないことばかりになるわけでして、今回も「ドル円の急落と死」「世界最大の暗号通貨取引所FTXの破綻と死」「巨大テクノロジー企業の大量解雇と死」ぐらいしかお話しすることがありません。しかしいよいよ今年も余すところあと一ヶ月半、今月も後半へいくほど忙しくなるということから、月末に引き続いてという感じですが月半ばでの配信とあいなりました。
それにしても、これは茶化してはいけませんが40歳でGAFAの部長に転職したひととかは大丈夫なのでしょうか?20代の思考法で蓄えもNASDAQに全部突っ込んだりしていなければいいのだが……というようなことを最近はよく考えます。
世はいよいよ受験シーズン本番ということらしく、キノコさんのところも上の娘さんが「成績が伸びてきた」というような話題が先日ありました。まさに「二月の勝者」の世界なんだと思うのですが、私の妻が教えてるピアノ教室の生徒さんなんかにもやはり毎年お兄ちゃん、お姉ちゃんが今年受験で……というご家庭が毎年あり、「二月の勝者を読んでいます」と妻が言うと、「そう!うちはまさにいまあの五巻あたりのところで……」という話になるそうです。それだけよくできているということなのでしょう。GAFAもあれだけ書籍が出ているのにマンガがないのでまだみんなが覚えているあいだに誰か描いてくれないかなと思います。
こどもの教育をめぐってはTwitterJP亡きあとも「奢り、奢られ論争」とならんで変わらず毎日のように私たちのタイムラインへ流れこんでくることからこれは正しく「永遠のテーマ」だなとあらためて思わされるところです。
どうやら世の中には「四〇年ギャップ問題」というのがあるらしく、これは親の教育観がいまから二〇年前の体験を基にしている一方で、実際にこどもが社会に出るのは現在からさらに二〇年後であるため、親の教育観がこどもの将来を四〇年遅れで導いていることを指摘しているようです。果たしてさもありなんというところでしょう。だいたいいい歳をした我々にすら二〇年後の、こどもたちが生きていく未来のことはいま現在ほとんど何も分からないというのに偉そうにこどもの進路をああだcoder言ってみるというのは果たしてどういうものでしょうか。
coderといえば私のこどもは今週からコーディングのレッスンを再開していますが、本人が楽しんでやっているならそれはそれで結構というものの、何らかの職能を念頭にコーディング・スキルを身につけさせたいと考えているならば、それはマーク・ザッカーバーグに代表される「フーディー(パーカー)を着た億万長者」といういままさに過去のものになりつつある職業観・産業観であり、親はやはり残念ながらバックミラーを見ながらこどもの人生を運転しようとしているのに他なりません。何しろこどもがScratch Jr.でネコにPKとかをやらせているあいだにすでにAIが日本語で指示されたコードを出力するというサービスが公開されてしまっておるわけです。習い事をやらせるにしても「何を学ばせているのか」は、単なるスキルという表層ではなくどんな思考や感性がそのスキルの背景に育っているかをよくよく考えていかないといけないなとつくづく思います。
思えば私がこどもの頃にも父親が日曜日にラジオを分解させたり、いわゆる電子工作のキットにちょっと付き合ってくれたりしたものです。あれもおそらく父が育った時代には「できればちょっと違う」機械工学の基礎を学ばせてやろうという親心だったのかもしれません。ベトナムでも私が初めて渡った2011年には、「いちばん人気のある専門学校は電子専門で、卒業生は街の修理屋に就職する」という話を聞きました。たしかにいまでも街にはiPhoneを修理してくれる店がそこかしこにあって、二〇代とおぼしき若者が働いております。そういうのを見ると父の世代がテスターとハンダごてを持ち出して壊れた家電を自分で直していたことなどを思い出して胸が熱くなるのですが、実際に私が大人になった頃には壊れたら修理するよりも捨ててAmazonで買う方が安くて早くて安全ですらあるという時代になってしまいましたし、少なくともそれが私大文系卒のライフスタイルです。かように親の思うことというのは常にこどもが生きる人生(私大文系へ進んだことを含め)からはズレているのであります。
「教育は国家一〇〇年の大計」ということがバブルの崩壊後から二〇年ぐらいは言われておりまして、日本は再興のため次の一〇〇年国家の屋台骨を支える人材を育てなければならないから教育の指針をあらためて打ち立てようというかけ声が寄せては返す波のようにあちこちで聞かれたものです。しかし親子ですら四〇年ものギャップがあるとするならば、国家は一〇〇年もの大計をどのように定めるべきなのでしょうか?
実はこれは引っかけ問題で、「一〇〇年の大計」の「一〇〇年」とは単に一世紀の時間を指しているのではなく「永遠」を意味しているので、一〇〇年の大計に必要なのは一〇〇年先を予測することではなく、一〇〇年前も一〇〇年後も変わらないだろうこの国と国民にとって大切なことは何であるか?という問いから始めることなのです。
私個人はおそらくそこに「米作り」が入ることは間違いがないと思うのですが、「国家観」とか「日本人論」とか大上段に振りかぶって左右両方から議論百出で話が壊れるというようなことを繰り返さず、足もとから「我々はいったい何者か?」について考えていくというのは大切なことですし、多重国籍や移民受けいれについて乱暴な是非論や一方的な拒否感を示す前に、じゃあ日本というのはそもそもどういう国なのかということを落ち着いてゆっくり、三〇年ぐらいかけてやってみたらいいのではないかと思います。少なくともここでいう「一〇〇年」とは、三〇年ぐらいかけても惜しくないほど長い時間のことだというのは間違いありません。少なくとも技術立国や金融立国、観光立国などというその場その場の産業政策が一〇〇年もつ国家の大計の指針となろうはずがないのは確かなことでしょう。
ところで、エマニュエル・トッドの新刊がタイトル・装画ともに宮台真司となんとなく被っておりますが大丈夫でしょうか。
まぁいいでしょう。以上、今日の配信ではどうぞよろしくお願いを申しあげます。
(以下、有料購読部分にYouTubeLIVE配信のURLを記載します)
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