幸福を追求して何が悪いのか
キノコです。
新緑が目に眩しい季節ですね。子の送迎で通る道すがら、花の香りに誘われてついフラフラとしていると、とてもキレイに手入れがされたお庭があり、生け垣越しにチラッと見える剪定の行き届いた植栽を拝見しているとこちらを凝視している立派な地主に出会うことがあり肝が冷えます。こういう時に子どもの愛想が良いとちょっと心の負担が減りますよね。
東京は面積的にはそれほど広くはありませんが、少し移動しただけで民度も格も異なるエリアが出現するので面白いですね。西と東で異なる民族が住んでおり、互いに存在は認知しつつも相容れない感じがするのがたまらなく興味深いです。
世界経済は日々SNS上の話に一喜一憂しており、それが資産評価額を上下させるので、キノコはIoTによって資産評価額とメンタルが連動しているため躁鬱病の様相を呈している次第です。右肩上がりの緩やかな成長を経験したことがない氷河期世代なので、生きている間に10年でいいので安定期というものがあればいいなぁと思う日々です。10年、ディケイド、失われた平成。
30年間も停滞を続けているとそれが当たり前になってしまい、日経平均も2万円台にいついてしまうわけです。ステージが変わる、という表現がありますが、日経平均もいつまでもボックス相場を続けていないでステージを上げていかないといけないと思いますね。みなさんで買って買って買っていきましょう。
SNSといえば、英国王室がロイヤルベビー誕生をSNSで告知、みたいなのが話題になっていましたが、昔はラジオでしたし、新聞は号外を刷らないといけないし、SNSでいいのではと思いますよね。風情がないとか、重みがないとか、過渡期に生きていなければ聞くことができないオールドメディアの断末魔みたいなものがリアルタイムで出てくるので非常に面白いですね。
どんな事を言うか、だけでなくどんなメディアで言うか、というのも文脈や受け手からの評価の際に考慮されるようになってきています。最新である必要はないけれど、トレンドはあり、少しずつユーザーは移動したりしていっているのだなーというのを肌感覚ですが感じます。
さて、本日はなにか事件が起きるとすぐに大喜利になってしまいなかなか議論が深まらない、倫理の問題に少し触れてみたいと思います。倫理と言っても広いので、特に話題を絞って、仕組みを知りもしないテクノロジーを使っている人間の責任をどこまで求めるべきか、公平な裁きとはどうあるべきなのか、というところを見ていければと思います。
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