D.E.D/今夜、いつかのバーで|Weekly vol.081
今週は、うでパスタが書く。
大統領選について書くといえば多少はひとも集まりそうだ。
しかし私は四年前にこっぴどく予想を外した経緯があって大統領選そのものについては現在も謹慎している。
ドナルド・トランプが米大統領の座に就く確率は、正確にゼロだ。
このゲームはジョーカーではあがれない。
(「嘘と、沈黙。」/新宿メロドラマ 2016.3.16)
どうですか、これ。あまりにも恥ずかしいじゃないですか。
まえにも書きましたけれども、これはドナルド・トランプをゲーミングカードの「トランプ」にかけて、彼は共和党が苦し紛れに切ったジョーカーに過ぎない、だがそんな手ではこのゲームは勝てないんだという、こういう言い回しを思いついて書きたかったがために書いてしまった、まさに目的と手段をはき違えた大失態で、一生消さずに置いておこうと思っています。
ただしトランプが前回の選挙で大統領の座に就いて以来、私がどんなものをアメリカの左派・リベラルに見てきたかということについては昨年更新されたこのマガジンの記事に綴っています。書籍も多く紹介しているのでよろしければご一読ください。
なおこのへんのエントリーについてはさるリベラルの方から怒られた経緯もあって、それに対しては速攻DMで釈明しました。やはりなんというか内ゲバはよくないですし、これからもみんなで仲良くリベラルをやっていければと思います。
最近、歌舞伎町のバーがひとつ閉店した。
二〇〇七年一〇月というそれなりに間の悪いタイミングで開店してから十三年、ひとによって長くも短くもあるような、そういう歴史の終わりだった。
もっとも飲食店とは一〇年ももてば立派な方だというそうで、それには食の流行り廃れや街の変遷、いちどついた常連客の代替わりが難しいことなどなど、いろいろな事情があるようだが、かく言う私もこれで歌舞伎町に知った店はもうひとつとしてなくなってしまい、長く掲げた「新宿メロドラマ」の看板もまた灯が落ちたという感じがする。おそらく僕はもう、新宿には寄り付かなくなるだろう。
僕が新宿で酒を文字通り浴びるように飲みはじめたのは、とりもなおさずそこに職場があったからだ。
一九九〇年、バブルの崩壊からつづく日本経済の凋落をもう「失われた『三〇年』」といまではひとも呼ばわるようだ。だが混乱のつづくさなかの二〇〇〇年ごろに社会へ産み落とされた僕たちの世代には、陰鬱な顔をしながら若者に犠牲を強いる大人たちの世界とはまったく違う、まっさらな、インターネットの混沌が用意されていたことも忘れてはいけない。この頃の話は何度も書いている。いままさに「パンデミックによるあらたなロストジェネレーションの危機」が迫っているというが、「思えば我々はまだラッキーな方だった」などということにならないことを心から祈っている。
身の回りでは実際に、「コロナショックですべてが裏目に出て死に場所を探している。外交官をめざして大学へ入った娘の学費も後期は納められそうになく申し訳ない限りだ」とかつて世話になったおっさんから悲壮なメールが届いており、悩みに悩んだ末「失礼にあたればお読み捨ていただきたいが、思うところあってその学費を私に融通させてほしい」と申し出た。「あなたのような心の綺麗なひとからお金を借りるわけにはいかない」という返事がきて、ようやくそれが芝居と知った、というまぁこういう話もある。
我々の世代へ話を戻せば、金融危機のしばらくあと「派遣切り」なんかの時代を経て恐怖へと結わえつけられた日本の労働者たちは、いわゆる「ブラック労働」の沼へと突っ込んでいくが、この頃の「インターネット界隈」には少なくともまだ仕事があった。僕が職場へ強制連行した無職の後輩は時給が一二〇〇円だったが、まったく文句を云わずに働いているのであるとき給与明細を見ると月の勤務時間が三〇〇時間を超えて、支給額はもろもろで四〇万円を超えていた。
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