SHOW MUST GO ON/YouTubeLive配信 vol.0012の告知|weekly vol.0102
今週は、うでパスタが書く。
いつものように最初にお伝えしておくと、今月もYouTubeLive配信が予定されている。
開始日時は2021年6月18日(金)20時。配信は当定期購読マガジン購読者の皆さまを対象とした限定配信だが、見逃した方はいまのところアーカイブでも見ることができる。
配信URLはこのnoteの末尾に記載しているので、まだだという方はぜひこの機会にサブスクライブして、九段下・図書室から配信される冷涼な空気をもって迫り来る暑気を払いつつ金曜日の宵のひとときをお過ごしいただきたい。
なお、過去の配信は以下のエントリーからたどっていただくことが可能になっているが、いずれも執拗な課金トラップの向こうにリンクが設置されているので、そのへんの意味合いはどうか察していただきたい。
■BiblioTALK de KINOKO vol.001〜007のまとめ + vol.008の告知
■BiblioTALK de KINOKO vol.009の告知
■BiblioTALK de KINOKO vol.010の告知
■BiblioTALK de KINOKO vol.0011の告知(2021年5月配信)
これは最初から予想されていたことだが、昨今あまりにも「ただ飲んでるだけの姿」を流すのぞき部屋配信みたいになっていることから、今月からは番組を以下のように少し再構成してお届けしたい考えだ。
「やる」と言ったことはとにかく酒が回るまえにやってしまいたい。
+ スモールトーク
+ 市況
+ ここしばらくに読んだ本のご紹介
+ 質問箱へのお答え
+ テーマトーク
外野から飛ぶ「いい加減に本の話しろよ!」というマナー違反の怒号に屈し、そろそろ本の話をするということになった。
昨今のわが国の状況に鑑みるまでもなく、「マナー」「道徳」の流布は統治行為の一部にほかならず、市民がこれに反してときに暴力的な声をあげることはきわめて重要だ。「ペンは剣よりも強し」、これは結局のところ嘘である。
こんなことを言ってはまた「おまえごときが」と怒られるのだが、この春以降、つまり世界的なパンデミックが宣言されて一年を経た頃から、いよいよ“コロナ”が私にも追いついてきたという感じがある。
およそひとの生というのは生まれから、その幼年期から、青年期から、その過ちから、苦い功名から、あるいはときにやがてくる未来から逃れ続けることそのものだと私は信じているが、皆さんがどうなのかはよくわからない。熱心な読者の皆さま(なんとこの存在は確認されている!)には先刻お気付きの通り、私自身の生は逃避行である。
特にそのとき私はすでに三年にもなる長い夏休みを過ごしており、宿題にもまだまったく手を付けていなかった。突然やってきたパンデミックは世界中でほとんどあらゆるものをサスペンドしてしまって、中国で春節が延長され、子どもたちの春休みが延長され、当然その間私の“夏休み”もずっと延長されていて、いよいよどうやらいろんなものが動き始めそうだと、少なくともそのメドがつきそうだという今になって私は五年越しの宿題を前に今日も酒を飲んでいる。
少なからず文学的な構造が、しかしどこまでユニバーサルなものかはよく分からない。ただ、自分の人生に追いつかれたひとが、過去の本当の姿に気が付いて、失われ、すでに手遅れになったすべてに顔を覆ってくずおれたとして、それが即ち死を意味するかといえばそうではない(かもしれない)ということをカズオ・イシグロが「日の名残り」に書いている。キツすぎて読めない本というのが少しずつ増えていくが、これもいまではそのひとつだ。
最近、妻が私のビアグラスをひとつ割った。
長く大切にしてきたというわけではなかったが、うちにひとつしかないそのグラスはコロナ禍に力尽きて昨年の秋にのれんを降ろしたさる店から最後に私が持ち帰ったものだった。
もちろん悪意があってのことでもないし、過失とあれば誰にも避けがたいもので、それ以上妻に対して思うところはないけれども、あらためて一般に妻とは夫の過去をひとつずつ破壊しながら自分の居場所をひろげていく存在であって、それが恋人とはちがうところだと思わされる出来事だった。
そろそろこの長いトンネルにもようやく出口が見えてきた、と言ってもよさそうだ。この調子でヴァクシネーションがすすめば、日本でもどうやら年内いっぱいで流行の終息にメドが立つのかなという期待を私自身は抱いているが、もちろんもうすでに力尽きて人生のコースを大きく転換することを余儀なくされたひとも大勢いるし、とはいえいままさにもう耐えきれなくなっているというひとも少なくない。そんなひとにとっては「いまさら」な話であって慰めにもならないだろう。
生き延びたことをうしろめたく思う必要はないのだ。だが過ぎた日々にしこる恨みはいつまでも実在するということを私の世代は知っている。そうした結び目がまたひとつ時代を画したことを覚えておかなければ、いつの日か実現する呪詛に手を合わせることもかなうまいとは思う。
「コロナは社会のなかで弱い立場の人々を追い詰め、その生命を奪うことで各国の抱える構造的な矛盾や問題点をあぶり出した」というようなことが一年前にはずいぶん言われていたような覚えがある。特に日本では女性の自殺が増えたというような話もあった。
一方、社会的な感染対策のもとでいちばん割を食ったのが飲食業と観光業だという点に疑問の余地はなさそうだが、彼らの場合には別にもともと社会的弱者だったというわけではないものの、あくまでも政策的に、人為的に苦しいところへ追い込まれたという意味では単に「不運であった」という以上に問題になるところがあろうと思う。場合によってはのちのち裁判で行政が敗訴するということがあってもおかしくないし、あってしかるべきではないかという気もする。
しかしこれだけ長い間にわたって飲食店が営業の自粛、時短を求められ、繁華街を中心に多くのビジネスが撤退に追い込まれているというなか、それでも農業と食品加工、物流なんかが動いている限り私たちが日常的に食べるに事欠いたり食料の調達に支障を来したりということはほとんど起こっておらず、これは実に驚異的だ。
「これは戦争だ!」というようなことを私自身も言いそうになることがあるが、「晩飯難民です」みたいなことを言いながら人々がふつうにコンビニで買って帰るその飯はボストン時代の私なら倍の値段を払ってもよいと思ったほどのクオリティであり、いまだ存命の戦中世代からすれば許せないものがあるだろう。ではあのように無数の飲食店が遅くまで煌々と灯りを照らしながら軒を並べてひとりひとつの胃袋を奪い合う光景はいったい何だったのかということを考えずにはおられない。
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