教養としての | weekly
「不動産屋さんについて路地を歩いていると金木犀の香りがした。金木犀の香りだ、と気がついた時にはもう笑い声が口から漏れ出ていて、不動産屋さんは怪訝そうな顔でこちらを振り返った。どうかしましたか、と言う不動産屋さんに、ほら、金木犀の香りがするでしょう?と言うと彼は香りのもとを探すべく周囲を見回した。地図で見た時には分からなかったが、路地の周囲には高層のタワーマンションがいくつも建っており、この路地もいずれ開発されることになるだろう、というようなことを不動産屋さんも言っていたが、2年以上先のことは分からないし、とにかく引っ越しがしたかった。
そんな出合いで住み始めた今の部屋は、金木犀の香りがする一時期以外はいたって普通の都心の路地裏のアパートの一室だ。もともと住居にはそれほどこだわりがないので、通勤と日々の生活物資の調達に不便がなければどこでもいいくらいの感覚で不動産屋に相談に行った。治安や周辺の施設、方位や間取りといったことは、不動産屋さんがあれこれ考えてくれて手配してくれた。人は任せられると逆に正直に仕事をする、というのが私の信念なのだけれども、不動産屋さんはその信念を裏切らず、いい仕事をしてくれたと思っている。もちろん、興味がないので方位や地盤、治安について彼が最終的にどのような決断をしたのかは分からないけれど、早く実物の物件が見たいと急かす私のせっつきにも関わらず、あと3つ選ぶのでお待ち下さい、と言った時の彼の真剣な表情からは、まるで自分の部屋を選ぶかのような気概を感じた。
なにはともあれ、今こうしてまた金木犀の香りを楽しみながら暮らせているということは、この一年を無事に過ごせたということだ。無病でも息災でもなかったが、それは過去のことであり、今こうして窓辺に座って外を眺めていられるということは、それだけで行幸だと言わざるを得ないだろう。」
彼女は音読をやめタブレットから顔を上げると、このブログはなかなか面白い、というような事を言った。彼女の面白いと感じるポイントは日によって全然違うので、今日はどこが面白かったのか、というのを聞くのはそれこそ面白い。本来人間の興味や関心というのは多面的で多層的であり、一貫性をその中に見出していく、というのは骨の折れる取り組みだ。だから、簡単に面白い人ですね、みたいなことをいう人間を信じてはいけないわけだけれども、得てしてポジティブさの表現の一つとして言ってしまいがちではある。今思い返すと、彼女は面白い、ではなく興味深い、と言ったかもしれない。いずれにしても、350年前の都心の路地での暮らし、というものがどういうものかというのをこうして記録してくれていることはとてもありがたいし、面白くまた興味深い。現在の地図で確認すると、そこは特に層の厚い廃墟群になっており、開発計画では砂礫を火星のステーションで再利用するとのことだ。膨大な量のデータが残されてはいるものの、その当時の様子を知る人はもう誰も生きてはいないため、生活の様子というものは映画やドラマ、またアーカイブされた断片的な動画データから推測するしかない。人類、と言っていいのかわからないが、人類の延長線上にいるであろう我々は、歴史的な興味から過去の人々の生態を記述しようと試みている。それにどのような意味があるのか、というようなことを問う人もいるが、意味を求める時代はとうに過ぎてしまったわけで、その問いを発している本人もまたそうした問が何かしらの意味を持つことがないことを知った上でなお敢えて言っているという節があった。意味というのは、時間によって試されるところがある。ある期間において、定められた目標に対し、その行動が寄与する度合いを推し量る、というののが意味を問うことの裏にある動機であろう。なぜ?という問の持つ因果関係への言及は、それゆえ時間というものが発散してしまった今の世界においては、同時に起こりうる現象のある側面を描くための視点を一時的に設ける以上の役割はない。
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キノコです。
いつの間にか12月になっており、noteの連続投稿記録日数も60を超えてきました。実績としては100件は超えているのですが中断期間があったので、まずはこの連続投稿記録というものを365にすることを目的にして日々生きている感じです。生きている感じといえば、暑さが苦手なキノコは当然寒い方が好きなわけで、とはいえ世の中には何にしても程度の問題というものがあり、10℃以下の環境でずっといたいわけではないということはご理解いただきたいです。寒くなると温かいものが食べたくなる、という話を耳にする機会も増えてきましたが、そういう時にお鍋やおでん以外の選択肢を持っているということがおそらく優雅な大人になるということなんだろうなと思います。師走、という言葉に象徴されるように慌ただしくなりがちな日々をいかに優雅にたゆたって生きていくか。
さて、機械学習everywhereという世の中になり、アルゴリズムという言葉も恥ずかしげもなく使われるようになりました。当社独自のアルゴリズムによって、AIが最適解をご提案しますみたいな話をされる機会も増えてきて話を聞いている分には楽しいのですが、つい口が滑って質問をしたりすると途端に空気が悪くなるので、各社営業は耐性をもっとつけて欲しいと思うところであります。
同じようにRPAを売り込みに来る人も広告業界という無法地帯のプロセスについてもうちょっと勉強してきて欲しいなとは思います。それ自動化できなくない?と思うことが多いです。
機械学習以外に、個人的には今年よく見たトピックとしては認知科学、ネットワークの科学(ネットワーク分析)というものがあり、今日はその辺の話をしていこうと思います。
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