推すことの怖さ 小川哲「嘔吐」(『GOAT』所収)を読んで

宇佐美りん『推し、燃ゆ』を読んでから、個人的に「推し」ブームでが来ている。
何か推し活にハマったというわけではなく(第一、同書を読んで推し活に積極的になるはずがない)、推し活をすることの意味や、推しへ没入することの危険性などである。
例えば『推し、燃ゆ』について、なぜ主人公はあのアイドルのメンバーを推すことになったのか。何に惹かれたのか。そんな観点で読むと興味深いし、ひいては推すという行為そのものを考えるきっかけとなる。


今回読んだ小川哲「嘔吐」(小学館『GOAT』所収)もまた、推しのあり方について再考を迫られた。

この小説の醍醐味は、なんといっても、語り手である中年男性の推しへの気持ちを綴った文章のキモさや怖さにある。
1ファンとして、リスペクトの気持ちを持って応援する。
しかし、そのリスペクトがあることは必ずしも優美な文章を書けるということを意味しない。
むしろ、気持ち悪すぎる文章を綴るのに一役買っているようにすら思える。

未読の方は是非読んでほしい。
きっと表面的に綺麗な文章であるにもかかわらず、なんでこんなに気持ち悪い気分になるのだろうと、変な気分になる。

そしてなにより注目すべき、劇的な幕切れである。
物語がこれからクライマックスか?っていうところで、急展開というかなんというか、スパッと終わる。
その独特な読書体験も、「嘔吐」を読む上での注目ポイントだ。


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