『生きることは頼ること』(戸谷洋志)から社会保障を考える
こども食堂と自己責任論
こども食堂が、全国的な展開を見せて久しい。なぜこれほどまでに子ども食堂が増加したのか。「それを求める子供がいるから」という理由は当然として、もうひとつ、自己責任論を回避しやすいという事情がある。
貧困対策として、非正規への社会保障を充実させるのは、自己責任論との折り合いが悪い。だからこそ、まだ子供で、自分の環境をどうすることもできない層にのみ、食事や居場所を提供することが推奨されたといえる。
傷ついた他者としての非正規労働者たち。不安定雇用の人たちー。彼ら/彼女らは自己責任論に絡め取られてきた。正社員になれないのは、そのための努力を怠ったせいだろう、と。
非正規雇用の人たちの生活が守られるためにも、自己責任論を乗り越えることが必要であり、そのためには新たな責任のあり方を模索する必要がある。この模索が求められているこの時代に、本書『生きることは頼ること』はぜひ広く読まれてほしい著作である。
本書の特徴 ジェンダーの観点から考える責任
本書は、サブタイトルにもある通り、「自己責任」から「弱い責任」を目指すものである。自己責任というとき、そこでは自律的な人間が想定されている。つまり「強い責任」が想定されている。それに対置されるのが「弱い責任」であり、そこで前提とされる人間は、傷つく可能性をもった存在だ。だからこそ、傷つきやすい他者を助ける責任を果たすためには、助ける側の人間も助けられる場合に備えた保証がなされるべきなのである。ざっといえば、こんな趣旨だ。
だいぶ荒削りな整理であるため、未読の方はぜひ実際に読んでほしい。
本書の特徴はいくらか挙げられるが、特筆すべきなのは、キテイやバトラーなどの哲学者を援用するなど、ジェンダーの観点が十分に反映されていることだ。特に、助ける/助けられる状況の場合、その関係性がパターナリスティックにならないように留保する箇所については非常に勉強になった。自己責任論が男性主義的だなあとなんとなく思っていたのだが、かなり理解が深まったように思う。
今後の展望
本書での新たな責任概念の提案はかなり説得的であった。とはいえ、挑戦的な内容も大いに含んでいるように思われるから、議論が巻き起こることを期待したい。
本稿では最後に、本書を読んでの若干のコメントをしておきたい。それは、社会保障についての議論である。
キテイらを引用しながら、「弱い責任」に基づいた社会のために、社会保障を充実させることは、本書において肯定的に捉えられていた。この点には無論賛成である。さきにあげた非正規労働者たちが安心して生活ができることにもつながるからだ。
ただしここで留意すべきなのは、社会保障を充実させる福祉国家は、守るべきものと守るべきでないものの線引きを強化するということだ。この点については、社会学者である市野川容孝が著書や論文で展開しているから参照されたい。市野川は、スウェーデンで障害者に対する不妊手術が多く行われてきたことを踏まえ、福祉国家という枠組みこそが優生思想を増幅させ、保証に値する人間とそうでない人間を線引きしてきたことを明らかにしている。
戸谷はバトラーの「哀悼可能性」概念をキーに、忍耐を以て内面化した差別意識を相対化する必要性を説く。そうすることで、守られるべき人間の線引きを解消することを目指す。しかし、戸谷が肯定的に扱っていた社会保障の拡充は差別の相対化に逆行する可能性があることにどこまで自覚的だったのかについては疑問が残る。
繰り返すが、社会保障の充実は今まさに求められいてるし、やるべきである。ただ、社会保障拡充で差別が増幅してしまっては、結局障害者などのケアをより必要とする人間を排除し、自律的な人間しか守らないという意味で「強い責任」に接近してしまう。社会保障と差別のジレンマをどう解決していくべきか、さらなる議論が期待されているように思う。