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父から逃げたわたしの備忘録4

弟はひとり、電車に乗って児童相談所へと行っていたみたいだった。 自分の大事な荷物をぜんぶまとめて、ちゃんと逃げる覚悟を持って家出をしていた。 わたしは母から連絡をもらった後、学校から母と一緒に児童相談所まで弟を迎えに行った。 正直、この後どうしたかもう思い出せないが、弟はひとまず母とわたしと一緒に家に帰ってきた。 この件に関してはこの後何度か児童相談所と連絡をとり合ったが、児童相談所から問題なしとされ経過観察も終了となった。

    • 父から逃げたわたしの備忘録3

      その当時、弟は新しく高校生になった頃だった。 弟の通う高校はいわゆる"明るい生徒"が多い学校で、弟はうまく馴染めなかった。 数ヵ月して、弟は高校へ行かなくなった。 母はせっかく自分の子どもが不登校になったことが少々気にくわなかったのだろう。 どうして行かないの? せっかくお金を払ったのに。 (話をしてくれないと)理由が分からなくて困る。 と毎朝弟を学校に行かせることに必死だった。 父が出張から帰ってくるたび母は、父からも何か言ってくれないか?話を聞いてあげてく

      • 父から逃げたわたしの備忘録2

        わたしには2人の姉と1人の弟がいる。 いちばん上の姉は大学卒業を期に実家を出て、ほとんど帰ってくることはなくなった。 2番目の姉は県外の大学へ行き、彼女もまた、ほとんど帰ってこなくなった。 そうしてわたしが高校2年生位からは、わたしと弟と母の3人で実家で暮らしていた。 というのも、父は出張の多い仕事でほとんど家には帰ってこないから。 ただ、父が帰って来た日は地獄。 お酒を飲んでは暴言を吐き、暴れるのが通常運転。 ちいさな頃からそれがあたりまえだったため、 暴れ

        • 父から逃げたわたしの備忘録

          わたしの父は寂しい人だったのだと思う。 かっとなると、母やこどもに手を出した。 わたしが喘息でも、わたしが気胸になっても、たばこをやめれなかった。 お酒に溺れて遂には肝硬変、依存症になった。 母以外の大事な人をいつのまにか作ってた。 いつからわたしは 父から逃れられる日を待っていたのだろう。 社会人になることですべてから逃げられると勝手に思っていた。 でも、それは違っていて、 大きな事件が起こるまで わたしも現実を見ないふりして逃げれずにいた。 そんなわ

        父から逃げたわたしの備忘録4

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        • 父から逃げたわたしの備忘録
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