はじめに
仏教徒がなぜ写経をするのかというに、その多くは昔は印刷の技術が無く、複製するためには書き写すしか方法がなかったというようなことを見聞きするのであるが果たしてそうだろうか。
それは仏教を外側から捉えた意見であり、私のような仏教徒を意識している者からすればまるで見当違いの考え方である。
写経は釈尊の言葉、つまり経典の中に「写経せよ」と説かれているからするのである。決して複製のために行うものではない。
経典中における写経
「写経せよ」との釈尊の明示は種々の経典に説かれています。
以下にサンスクリット語から翻訳された経典群を挙げてみよう。
上記の経典中の言葉を窺えば、複製のために写経をせよとは説かれていない。釈尊は写経することで、速やかに功徳を受けることができ、また諸仏を供養することに値するというのである。
仏教徒であるならば素直に経典の言葉を信じて実行するだけである。複製だのなんだのという考えは余計であり、仏教徒のすることではない。
まとめ
写経は厳しい修行をせずとも諸仏を供養したり、速やかに功徳を得ることのできるいわば釈尊が末代の凡夫にも可能な易行道の一つとして明示されたのである。