鎌倉殿の13人 真鶴・湯河原そして大磯
鎌倉幕府の草創期に活躍した土肥実平という武将がいる。
神奈川西部の土肥の郷、今でいうと湯河原、真鶴一帯を支配していた豪族。
石橋山で大庭景親に惨敗した頼朝に寄り添い命を助けた功労者である。
「鎌倉殿」では三谷幸喜の劇団時代からの盟友である阿南健治が演じており、決まり文句が「仲良く〜」で仲裁が得意な温厚な武士として登場する。
実際に仲裁に入った逸話があり、キャラ的には外れていない。
頼朝を追い詰めた大庭景親は前回の大河で斬首され晒し首になっていた。
命がけで逃げた頼朝を献身的に支えた土肥実平。
彼の存在無しでは鎌倉幕府は誕生しなかった。
湯河原〜真鶴と頼朝の「逃避行」の足跡を辿った。
まず湯河原町の基本情報。
箱根町、真鶴町と共に足柄下郡に属している。
湯河原で下車すると駅前には土肥実平の銅像があり、タクシーに乗れば運転手さんも大河の話で盛り上がる。
温泉宿から眺める山々はまさに隠れるには打って付け。
今の小田原市にある石橋山合戦で大敗した頼朝達はこの湯河原の山中に逃げ込んだと思われる。
湯河原山中には土肥城があり土地勘のある土肥実平の案内で山中に身を隠しつつ、追っ手を巻いたのではないか。
そして山を降りた一行は真鶴にある岩海岸に辿り着く。
湯河原の隣にある真鶴駅を下車、徒歩で15分ほど歩くと「頼朝船出の浜」に辿り着く。ここは岩海岸と呼ばれて夏は海水浴場でもある。
https://www.manazuru.net/sightseeing/iwakaigan/
相模国の有力豪族、足下郡(湯河原町および真鶴町)土肥郷を本拠としていた実平は船を手配し、頼朝と共にここから海路、安房に向かった。
青く澄んだ海を眺めていると頼朝が船で逃げる姿が目に浮かぶようだ。
安房で再起した頼朝は次第に味方を増やして武蔵経由で鎌倉入りし、幕府の礎を確実なものとする。
その後の実平は平家討伐にも参加し、安芸国に所領を得て小早川氏の祖となったと伝わる。
頼朝の命を救った功労者でありながら北条氏ほど栄えることはなかったが、中国地方ではしっかりと根を張り広島県三原市に棲真寺を創設した。
頼朝逃避行の旅を終えて真鶴駅から数駅で大磯に向かう。
大磯から徒歩5分茶屋町にある「茶屋町カフェ」。
古い民家を改造しており、私達世代には懐かしい雰囲気。
大磯もまた「鎌倉殿」と関わりのある地である。
駅に掲示された「虎が雨」という浮世絵。
「虎が雨とらがあめ 曾我の雨、虎が涙ともいう。 旧暦5月 28日に降る雨をいう。 この日は曾我兄弟の仇討ち決行の日で、曾我十郎祐成に愛された大磯の遊女虎御前が、十郎の死を悲しんで流す涙が雨となって降るというもの」と書いてあった。
曽我兄弟がどのように大河で描かれるか。
初回から工藤祐経を登場させたので、これが伏線となり新しい解釈の曽我の仇討ちが観られそうだ。
箱根だけでなく、湯河原、真鶴、大磯と神奈川西部の魅力は尽きない。