![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/79331336/rectangle_large_type_2_6a241e8a13317f815e42063a171026aa.jpeg?width=1200)
鎌倉殿の13人 平泉の旅(2)
前回のタイトルの「帰ってきた義経」とは「平泉へ帰ってきた」と思ったが、首になって鎌倉へ帰るという衝撃の結末のWミーニングだった。
平泉に行くと、嫋やかな自然と中尊寺に代表される広大な寺院に圧倒され、まさに世界遺産と言うのが納得できる。
さらに文化やそれを支えたであろう砂金等の経済。
頼朝は義経以上に奥州藤原氏の強大な力に怯えていたはず。
鎌倉と京以上に近い距離感。
彼が鎌倉を動けなかった理由が理解できる。
さて、弁慶堂から暫く歩くと、多くの堂が集まったエリアに辿り着く。
このエリアの奥まった所に目玉の金色堂がある。
金色堂自体は今は建物の中に収納されており撮影は禁止。
1124年に建立されたとは信じられない金箔を施した建物は煌びやかなもので、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとしたことが今に伝わる。
金色堂に隣接して建つのが「経蔵」である。
創建時の古材を使用しているだけあり当時の趣を感じる。
広大な敷地内にある沢山の堂は再建されたものが意外に多く、当時の木材を使用しているものは僅かである。
![](https://assets.st-note.com/img/1653299209297-SzBOxoEJuV.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1653299241238-6YK7KLSJjf.jpg?width=1200)
さらにこの奥には「旧覆堂」がある。
金色堂を風雪から護るために、正応元年(1288)鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる5間4方の堂。
松尾芭蕉や伊達政宗といった歴史上の人物は、薄暗いこの堂内に入り金色堂を参拝したわけです。
![](https://assets.st-note.com/img/1653370731518-3H1jnaGTen.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1653370802203-wWYSiMJUym.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1653370871051-K8RNSx4Bx0.jpg?width=1200)
この他にも多くの堂があるが半日では見て回ることは出来ない程に境内は広いが、軽い山歩きと考えると楽しい。
ここ平泉に来れば、田中泯の演じた藤原秀衡の凄みがよりリアルに感じられることは間違いない。
そして義経の「平泉に手出ししたら許さない」という言葉も説得力が増す。