"取り敢えず"で日々を過ごすのをやめたら、つまらない毎日がちょっと幸せになった話
毎日がつまらない…。
何となく、今日も一日が終わってしまった…。
そんな毎日を過ごしていませんか。
私自身も、そう思って過ごしていました。そもそも、人生なんて何が楽しいのか、全く分からない時期もありました。
そんな自分を変えるきっかけの一つとなった、強烈な言葉があります。
この画像は、自分のスマホの待ち受けに貼っているメモの一部です。
ここに残してある言葉は、私がこうやって"生きていきたいな"と思っている、いわば座右の銘。自分がブレそうになった時、怖くなった時、時々開いて見ています。
この言葉は、今は亡き女優・樹木希林さんの葬儀において、娘の内田也哉子さんが喪主代理の挨拶で紹介なさった言葉です。
テレビのニュースで、樹木希林さんの訃報を知りました。
その時に、内田也哉子さんの挨拶も紹介され、初めてこの樹木希林さんの言葉を聞きました。聞いた瞬間、
「うわあ…」
と、衝撃を受け、忘れないうちにとメモを取ったのが、この言葉との出合いです。
ただ、その時は、いい言葉だな…と思っただけで、実際に自分の行動に何か変化があったかというと、何もありませんでした。
ただ、必死に仕事をこなすだけの日々。
そして、数年経ったある日、私は書店で一冊の本を見つけました。
「一切なりゆき~樹木希林のことば~」(文春新書)
インタビューや雑誌の取材など、樹木希林さんの生前の言葉をまとめた一冊です。この本を、私は2020年に手に取りました。
少しずつ、少しずつ、ネガティブな自分を変えようとし始めていた頃です。この本から、私が学んだことは、たくさんあります。一時、常に卓上にこの本を置いて、ことあるごとにページをめくり、何度も何度も目を通していました。
あなたがこの本から学んだことは?
と、尋ねられたら、正直に言って、答えに迷います。たくさんありすぎて。
それでも、どれかを選ばなければいけないのだとしたら、一番の学びは、
日々をできるだけ、丁寧に生きること。
だと答えます。
「”きょうよう"があることに感謝しながら」
最近のわたしは"きょうよう"があることに感謝しながら生きています。教養ではなく、今日、用があるということ。神様が与えてくださった今日用をひとつずつこなすことが日々の幸せだし、最後には、十分に役目を果たした、自分をしっかり使いきったという充足感につながるのではないかしらね。
(「全身がん 自分を使い切って死にたい」2014年5月)
「一切なりゆき ~樹木希林のことば~」p,61~62
昨年、2020年コロナになって、自分の仕事が減りました。
仕事が減ったがゆえに、自分の自由時間が一気に増え、色々なことを考えました。
その時に、この「今日、用がある」という言葉は重かった。
仕事は減りましたが、私の場合、職を失ったわけでもなく、きちんとお給料が支払われる立場にありました。
ニュースを聞いていると、世界中の至るところで職を失い、悲痛な声をあげている人、国の支援が間に合っておらず苦しい生活を強いられている人の声に溢れていました。
そんな中、実務は減ったとはいえ、「用」がある立場の自分の環境は、何て有難いんだろう…と、思いました。
それと同時に、
「自分をしっかり使いきったという充足感」
という言葉の意味を考えました。
私は、「自分を使いきっ」て生きているだろうか?
そんな疑問がわきました。
人というのは社会の中で、一人が幾つかの役割を抱え、生きています。
家族の中での、「子ども」としての、「親」としての自分。
会社の中での、「先輩」としての、「後輩」としての自分。
もしくは、「上司」としての、「部下」としての自分。
交流の中での、「恋人」としての、「友人」としての自分。
様々な役割があります。
私たちは、無意識の中で、それぞれの自分の役割を果たしながら、日々を過ごしています。
この「自分を使いきる」という言葉を見た時に、自然と与えられている"役割"という"枠"の中で、自分は"取り敢えず"日々を過ごしていはしないだろうかという疑問が生じました。
「自分を使う」のではなく、「使いきる」のです。
私は「用がある」という有難い環境に甘んじて、"取り敢えず役割を消化する”、そんな生き方をしているんじゃないか…と。
「使いきっ」てなど、いないのではないかな…。
じゃあ、「使いきる」って、どういうことだろう。
どうすれば、「使いきる」ことができるんだろう。
そう考えた結果、まずは自分にとって一番身近な、日々の暮らしの中の"取り敢えず"を止めてみよう、と思ったのです。
私なりの「使いきる」
掃除、洗濯、食事など、生活の中で、やらなければいけないことは、仕事以外にもあります。けど、生きているからこそ、やらなければいけない"今日、用"があるんですよね。だから、
「やらなければいけない」からしていることの、"取り敢えずやる”、を止めてみました。
とはいえ、毎回やる度に「使いきる」ってどういうことだろう?と考えながらやるのは、自分への負担になります。
そこで、実際にやってみて、自分の負担にならない、自分なりのやり方を模索し、それぞれの"今日、用"に解釈をつけてみました。
結果、現状は以下のような感じ。
掃除
→きれいになって、自分が居心地よくなるから、丁寧に。ただ、毎日するのは大変なので、汚れた時に、汚れた場所は片付ける。全体の掃除は週に一回。
洗濯
→洗い立てのものを使うと、単純に気分がいい。自分が好きな香りの洗剤を使う。また、新しく洋服を買う時には、自分が気に入った肌触りのものを選ぶことで、着たときの心地よさUP。
食事
→一食で、できるだけ5色(黒・赤・白・黄・緑)が揃う食材を使う。見た目もいいし、細かいことを考えなくても栄養バランスのいい食事になりやすい。ひいては、健康のためになる。
ちょっとずつ、自分で色々とやってみながら、日常の暮らしを"自分なりに丁寧に"過ごす工夫をするのは、正直、楽しかったです。
そして、自分で決めたことが実行できると、単純に自分が嬉しいんですね。
今日はこれができた、今日もこれができた、と自分の行動に満足することが出来るから、日々の喜びが増えます。
何より、「自分を使いきる」と意識するようになってから、
大丈夫かな?自分で自分をおざなりに扱っていないかな?
ふとした瞬間に、そう自分で自分に問いかけるようにもなりました。
勿論、辛い感情を抱えている時もあれば、疲れて何もしたくない時もあります。でも、そんな時は、無理はしません。
ぼーっとしたり、早めに寝たり。ちょっと、自分を甘やかします。
自分で自分を大切にしないと、「自分を使いきる」ことができない。
そう考えるようになりました。
まとめ
「一切なりゆき~樹木希林のことば~」(文春新書)の中には、他にもたくさん私が影響を受けた人生哲学がたくさん記されています。
この本を読み、本当に樹木希林さんという方は、人生に起こるすべてのことを、あるがままに無理をせず、ご自身なりの解釈で『おもしろがって』生きてこられた方なんだろうな…と思いました。
私は着物が好きで、自分でも着ます。
着物は、着こなし方に着る人なりの個性が出ます。
テレビで拝見する樹木希林さんは、独特な着方をされる方でした。
一歩間違うと着崩れているのかな、というぐらい、ゆるく着こなされるのですが、それが非常にサマになっている。
着くずれてしまうと、品がなくなってしまう物ですが、そのゆるさがとてもカッコいい着方をされる方だな…私もこんな飾らない、ありのままの着方ができるようになりたいな…と思ったものです。
まだまだ樹木希林さんのようなカッコいい着方ができるような生き方ができているとは思えませんが、何かに迷ったら、
おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい。
「一切なりゆき~樹木希林のことば~」p,199から引用
と唱えながら、私なりの幸せな自分の使いきり方をこれからも模索していきたいと思っています。