南野薫

はじめまして、小説を書きたくて参加しました。

南野薫

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最近の記事

キッシュが冷たくなるまえに 70話 スキップ

 時計の針は10時を越えたばかりで、キッチンのテーブルの上には、焼きあがったキッシュが2ホールどんと置いてある。ほんとは9時台前半に仕上がったのだが、荒熱を取るために放置している。キッチン中に生地が焼けたバターの甘い香りが充満していて、いつもの見慣れた生活感に満ちたキッチンが、香りの変化だけでパン屋やケーキ屋のように思える。まさかこんなに早く作業が終わるなんて思っても見なかった。早起きのせいで作業のスタート時間が早かったせいと、思い切って金属製のキッシュ用の深いタルト型をも

    • 女風ダークアカデミア第一話 13 Chicago Song

       「ここはアンティークの家具も扱ってるから、もし興味があったらまた訪ねてきてくださいね、御待ちしております」  強い風に飛ばされないようハンチングを押さえながら女性は言った。窓の外からは入口の奥、キャッシャーがあるさらに奥に向けて倉庫のような大きな空間が見えた。シャンデリアと間接照明の光が猫脚の椅子や机、デコレーションが施された本棚などキラキラと照らしている。  「また今度時間を作ってきたいと思います。できればゆっくりと見て回りたいですね」  僕はそう言って運転席のドアを開く

      • キッシュが冷たくなるまえに 第69話 コーヒーが冷めないうちに

         寒さで目が覚めた。自室のベッドではなく、リビングのソファーの上で身体を丸めてタオルケットを抱きしめているのに気がついた。昨夜はたしか試作で作った豚バラのリエットとロゼワインのマッチングを試していたはずだ。目やにで開きづらい瞼をこすって、そっと目を開くと、ソファーの前にあるセンターテーブルには、袋が開けられたポテチが置いてあるだけで、飲みさしのグラスやリエットが入っているココットは既に片付けられていた。どうやらそのまま寝落ちしたあとで父さんと美穂がテーブルを片付けていて、シン

        • 女風ダークアカデミア クレオパトラの夢 11話 

           突風が窓を叩く音で我に返った。窓の外では街路樹の枝が揺れていて、夕焼けが雲を鮮やかな茜色に照らしていたと思っていたら、陽が弱まり茜色と紫色のグラデーションに変わっていた。  「じゃぁ、このジャケットをいただきます。それとその同じ柄のハンチングをください」  ショーケースの上に置かれた帽子の中から、僕は千鳥格子のハンチングを掴んでかぶってみた。ちょっと伸びた髪のボリューム感でちょっと小さく感じたが、後頭部にあるアジャスターを調整してもう一度被ってみるとちょうどいい感じになった

        キッシュが冷たくなるまえに 70話 スキップ

          女風ダークアカデミア クレオパトラの夢 11話 

           「こんな千鳥格子はどうかしら?」  渡されたジャケットを手に取ってみると、浅い黄土色に細かくて濃い茶色の模様が規則的に生地に織られている。パッと目にはわからないが、近づいてよく見ると、茶色二色のグラデーションだけでなく、その模様が数段ごとにオレンジ色に変わっていて、十字の格子を描くようになり、さりげなくチェックの模様が施されている。素朴で無骨な織物ではあるけども、細かいところにさりげない味付けがされていて、これは料理にも通ずるところがあるなと思って、ビストロ料理があたまに

          女風ダークアカデミア クレオパトラの夢 11話 

          キッシュが冷たくなるまえに 第68話  パジャマの女王様

           「30過ぎ、60過ぎの男達がロゼのワインを傾けている光景はなかなかシュールですな」  パジャマ姿の美穂はそう言ってテーブルの上のポテチを一つかみして、バリバリを音をたたて食べ始めた。  「いや、それはたんなる偏見でしょ?言わせてもらうけど、男がロゼを飲むのがおかしいって、単なる無知でとしか言いようがなくてさ・・・」  「あら、私を無知扱いする気なの?ちょっと翔太いつからそんな生意気な口をきくようになった訳?ぼっとしてないで私のワイングラスを持ってきてよ」  美穂はアゴでキッ

          キッシュが冷たくなるまえに 第68話  パジャマの女王様

          キッシュが冷たくなるまえに 67話 ロゼと男

           「ただいま」  コンビニ買ったビール数本とロゼワイン、ポテチと先ほど作ったリエットを白いコンビニ袋に入れて玄関を上がった。リビングからはパットメセニーのギターが流れている。リビングのドアを開いたら、父さんがソファーで寝転んで文庫本を読んでいた。ピンク色の表紙に深いブラウンの枝、薄っすらとした金色の桜と、白い文字で「春琴抄」とタイトルが描かれている。作者はたしか川端康成だったような気がする・・・。  「おつかれさん」  父さんはそう言って文庫本から目を離して、僕の持っている

          キッシュが冷たくなるまえに 67話 ロゼと男

          女風ダークアカデミア 第一話 クレオパトラの夢 10

           BGMのバロック音楽が途切れて無音になった。 「あのぉ 、ダークアカデミアって知ってますか?」  唐突だとは思ったが、会話で距離が縮まった気がしたので、思い切って質問してみた。女性は意外な質問に驚いたようで、目を大きく開けるとやがて瞳が見えなくなるほど目を細めて笑った。  「もちろん知ってますよ、一応インテリア業界の人間ですもの。よく海外のインテリアの動画を見てるんですが、「ダークアカデミア」って言葉の動画がよく推薦されてくるので見てみたことがあります」  「海の向こうの

          女風ダークアカデミア 第一話 クレオパトラの夢 10

          女風ダークアカデミア 第一話 クレオパトラの夢 9 

            「すいません、ハリスツイードってなんですか?」  僕は奥からでてきた女性に尋ねた。女性はゆっくりとこちらに歩いてくる。グレンチェックのハンチングからセミロングの黒い髪が揺れている。白のボタンダウンのシャツの上に、網柄の模様が入った厚めのウールでざっくりと編まれたグレーのベストを身に着けている。黒地の長めのスカートにタイツ、足元には僕と同じ黒いサイドゴアのブーツがちょっと薄暗い店内でももわかるように黒光りしてしている。やっぱり靴は磨いておくべきだったと思ったが、後の祭りだっ

          女風ダークアカデミア 第一話 クレオパトラの夢 9 

          キッシュが冷たくなるまえに 第66話 あくびがとまらない

           「じゃあ、その煮汁を冷やします、冷やすと煮汁と油が分離するんだ。表面に油の塊が出来て、その下の煮汁がゼリー状になる。その煮汁のゼリーには旨味が凝縮されていて、それとリエットをよく混ぜるとおいしくなるんだよ。固まった油はリエットの表面にフタのようにかぶせて、空気に触れないようにする」  「リエットって保存食ですもんね、油の塊で酸化させないようにフタをするんですね」  はるかさんはそう言うと、大きなボウルを出してきて製氷機から氷を取り出して入れ始めた。そして水を入れてその上にも

          キッシュが冷たくなるまえに 第66話 あくびがとまらない

          女風ダークアカデミア 第一話 クレオパトラの夢 8

           カーナビすらない古い車で、初めての街を運転するのは気を使うものだ。まだ初心者マークの若造には、夕暮れの視界の悪さと、帰宅渋滞によるストップアンドゴーは、神経をすり減らす作業以外の何物でもない。ましてやマニュアルシフトの車だったらなおのことだ。クラッチを切ってギアを一速に入れて半クラッチでゆっくり車を動かして、ある程度車が動き出したらクラッチをつなぐ。スピードが上がっていくとまたクラッチを切って2速に入れてクラッチをつなぐ。さらにスピードがあがると3速4速5速とシフトをアップ

          女風ダークアカデミア 第一話 クレオパトラの夢 8

          キッシュが冷たくなるまえに 第65話 カウンターから厨房にて

          「カウンターに座ってなんとなく雑談をしていたら、お互いの学生時代の話になってね。そうしたら凪人君が同級生がこの街に住んでいて、最近訪ねてきたって話になったの。ミカエルのスタッフの子と、あなたのお姉さんの三人でやってきて、新規のライバル店舗の視察みたいな形だったよって言ってたわ」  佐藤さんはそう言ってグラスに残ったワインを飲み干した。そしてミカさんに目くばせをすると、空のグラスを持ち上げて「おかわり」と言った。    僕は空のグラスを下げると、ミカさんは、バックバーに置かれ

          キッシュが冷たくなるまえに 第65話 カウンターから厨房にて

          女風ダークアカデミア 第1話 クレオパトラの夢7

           古い洋館のすべての部屋と廊下のモップ掛けを終えると午後三時を越えていた。汗でベトついた身体をシャワーで洗い流し、ジーンズとパーカー、ウルトラライトダウンのジャケットに着替えて、黒い皮張りのソファーに座ってはみたが、このアンティークな洋風のインテリアではファストファッションではいまいちカジュアル過ぎてフィットしない。こういう洋風の古めかしい屋敷で、気持ち重くて暗いインテリアの生活の中でフィットする洋服って何だろう?化学繊維よりもウールやコットンの素朴なもののほうがしっくりくる

          女風ダークアカデミア 第1話 クレオパトラの夢7

          女風ダークアカデミア第1話 クレオパトラの夢6 

           マグカップを片手に玄関の脇にあるドアを開くと、カビとホコリの臭いがした。ドアの横にあるスイッチを押すと、暗闇だったガレージに明かりがともり、白熱灯の鈍い光がくすんだワインレッドの4ドアセダンを照らしていた。車高が低く、異様に長いトランクのデザインが独特で、テールエンドに向けて緩やかに下がっている。斜め後方から見ただけで、この特徴的なシルエットをしたこの車が何なのかすぐにわかった。ジャガーXJだ。片手に持ったマグカップをそこにあった作業台に置いて、ガレージのスライディングシャ

          女風ダークアカデミア第1話 クレオパトラの夢6 

          女風ダークアカデミア 第一話 クレオパトラの夢 5

           ランチを終えて皿とグラスを洗っているとスマホが鳴った。ミカからの電話だった。  「久しぶり、もう別荘に着いている?」  弾んだミカの声が耳に飛び込んできた。  「朝9時頃に着いて、午前中はずっと掃除をしていたよ。今軽いランチを食べ終えて、午後も掃除を続ける予定だよ」  「えらいわねぇ、一人で一軒家を掃除するって大変でしょ?別荘って行くのはいいんだけど、着いてすぐ掃除しないといけないのが面倒で行かなくなるのよ」  なるほどミカの言う通りなのかもしれない。旅行に行ってホテルに

          女風ダークアカデミア 第一話 クレオパトラの夢 5

          女風ダークアカデミア 第一話 クレオパトラの夢 4

            県道から左折すると、私道の長い坂道が待っていた。左右には白樺の木々がそそり立っていて、鮮やかな黄緑色の葉と白い樹皮に包まれた幹が美しい。改めてここが標高1000メートル越えの高地だと思い直した。先日買った中古のプジョー206を1速にシフトダウンしてアクセルを踏み込むと、1.4ℓの非力なはずのエンジンは、ソレックスのキャブレターのせいかグイグイと急な坂道を登っていく。23年前に作られた、棺桶に半分脚を突っ込んだ婆さんのような車と思っていたが、JKの短距離走者のような加速の走

          女風ダークアカデミア 第一話 クレオパトラの夢 4