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「異国事物的転訳」という本に辿り着いた。〜摘読日記_79

「異国事物的転訳ーー近代上海の競馬、ドッグレース、Jai Alai」(异国事物的转译ーー近代上海的跑马、跑狗、和回力球赛)という本を手に入れました。

最近、ずっと上海競馬のことを調べてきて記事にもしてきて、この本を見つけたときは「おお!」と興奮しました。

著者は台湾の中央研究院の研究員、張寧氏

UMAJOなのだろうか?

この本のテーマは、競馬、ドッグレース、Jai Alai(ハイアライというバスク地方発祥のボールを壁に投げつける競技)ーーなどを通じ、ある文化が移植される際に、「一見同じに見えるが、実は違ったものになっている」という曖昧な変容の原因を探るというもの。

そして事例が、最盛期の大英帝国と復興を目指す中国という異文化間の交流が最も盛んだった上海における西洋スポーツーー競馬、ドッグレース、Jai Alaiなどで、その移植過程における文化的意味合いを分析していく、という内容のようです。

2020年発行(簡体字版)
繁体字版は2019年発行のものあり。


まだ、ざっとしか読めていないのですが、興味深い内容ばかり。

ただ、中国語なので、読むのは大変です。

近代史にも詳しくないので、色々調べながら、という感じです。

しかしぱっと見で、貴重な資料が沢山。

たとえば、上海競馬場の移転、租界の境界や上海県城の図解がわかりやすい。

3つ目の競馬場の、コース内の施設。

こちらは、モンゴルから中国へ連れてきて競走に使っていたモンゴル馬の写真。

上:手入れ前
下:手入れ後

モンゴル馬は、イギリスやオーストラリアから連れてくる馬に比べると小型で脚もやや遅いものの、スタミナは非常にあったそう。

本はゆっくり読んでいきます。

著者の張寧さんの名前で検索をかけると、本よりも読みやすい上海競馬についてのインタビューがありました。

五月雨式に内容を少しご紹介。

「上海でイギリス式競馬が大人気に。黄金栄と杜月笙はなぜ参入したのか」
英式跑马进入上海后迅速风靡,黄金荣杜月笙为何参与其中

黄金栄と杜月笙は1920年代〜1930年代にかけて暗躍した上海暗黒街のボス。

黄金栄
杜月笙

張寧さんによると、黄金栄は競馬を単純なビジネスと捉え、杜月笙は競馬を足がかりにして租界での影響力の拡大を図ったそう。

この二人は、日本語のWikipediaもあるぐらい有名な人物で、彼らをモデルにしたドラマや映画も多い。・・しかし私、あまり詳しくない・・。

他にも、競馬場からほど近い福州路(四馬路とも呼ばれた)は有名な花街で、1890年代以降、花街の高級娼婦が最先端のファッションで着飾り競馬場付近まで出掛けていったそう。

当時は、中国人の大衆はまだ競馬場に入ることはできなかったものの、競馬場沿いの道から競争を覗いたり、着飾った娼婦たちを見学しに大挙して押し寄せたということでした。

1890年代の花街を代表する娼婦の一人、林黛玉

「上海競馬場はどのようにして人民広場に変わったのか」
上海跑马厅是怎么变成人民广场的

このインタビューでは、1945年の春開催を最後に、競馬場がどのように人民広場として生まれ変わっていったのか、時系列で具体的な説明がされています。

ちなみに、最後に上海で競馬を施行していたのは、日本人だったとのことです。

1946年の9月には、競馬場再開についての市民投票も行われたそうですが、有効回答1284票のうち、再開に賛成と投票したのは僅かに59票。

張寧さんによると、イギリス人が競馬を愛するのは、運動のためだけではなく、紳士に必要な規律や規則の尊重、高貴さや誠実さを学べるから、だからこそ植民地にも真っ先に競馬用のコースを作るのだそう。

つまり、賭博や金儲けは本来二の次のものなのです。

しかし、上海の競馬場は、賭博や金儲けのイメージ、治安を悪化させるもの、というイメージを上海市民に植え付けてしまったようです。

もちろん、帝国主義の象徴としての競馬場への反発心もあったでしょう。


今回手に入れた「異国的事物」は、そのような皮肉な文化の変容を辿っていく内容だと思います。

時間かかりそうですが、読み進めていきたいと思います。

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