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元巨人ファンだけど、(邪な理由で)ヤクルトも好きだった。

今宵はヤクルトvsオリックスの日本シリーズ第3戦。

元巨人ファンだけど、ヤクルトの思い出について書いてみたい。

トップ画像の選手、昔からのプロ野球ファンなら知っていると思う。

1987年、1年だけヤクルトでプレーしたボブ・ホーナー選手

小太りでメガネ。

小太りでメガネ。風貌はまるでパソコンオタク。

外見からちょっとナメてしまいそうだけど、打棒は凄まじかった。

何と言っても、まだ29歳のバリバリのメジャーリーガーだったのだ。

5月のゴールデンウィークから出場し、デビュー戦、2戦目と、ポン、ポン、ポン、ポーンと、いきなり2試合でホームランを4本放ったのだった。

打球がピンポン球のようだった。

結局、1987年シーズンは、打率,327、31本塁打、73打点を記録。

シーズン途中、5月からの出場で試合数93、打席数355に終わったので、もしフル出場していたらホームランは軽く40本以上は記録していたと思う。

今年の村上のように三冠王を狙えたかもしれない。(ちなみに、この年の首位打者は,333で巨人の篠塚と広島の正田が分け合い、ホームランは広島のランスで39本、打点王は大洋のポンセ、98打点。)

しかしホーナーは残念ながら、この年だけで日本球界を去ってしまった。


私は、元巨人ファンだけど、ヤクルトもけっこう好きだった。

ただ、その理由はちょっとよこしまで、ヤクルトは当時弱かったから、巨人ファンの私としてはヤクルト戦はいつも楽しんで見ることができた、というもの。

1980年代のヤクルトvs巨人の対戦成績をちょっと調べてみると・・

1980年:巨人の8勝15敗3引分け
1981年:巨人の13勝10敗3引分け
1982年:巨人の14勝10敗2引分け
1983年:巨人の17勝8敗1引分け
1984年:巨人の17勝7敗2引分け
1985年:巨人の15勝9敗2引分け
1986年:巨人の16勝9敗1引分け
1987年:巨人の16勝7敗3引分け
1988年:巨人の12勝13敗1引分け
1989年:巨人の19勝7敗
十年間で:147勝95敗18引分け(勝率,607)

この通り、負け越しは1980年、1988年の二度だけ。

ホーナーがいた1987年も、巨人はヤクルトに大きく勝ち越している。

私は80年代後半がもっとも熱心にプロ野球を観ていた時期なので、ヤクルトにはとにかく「お得意さん」という印象が強い。

当時の両チームの主力、槙原さん(巨人)と、広沢さん(ヤクルト)も、こう振り返っていた。

ちなみに、この時代、巨人のライバルとして強かったのは何と言っても広島カープ。そして、中日ドラゴンズ。

同じ十年間(1980〜1989年)の巨人対広島は、127勝118敗15引分け(勝率,518)。対中日は129勝112敗19引分け(勝率,535)。

・・ヤクルト戦ほど勝率は高くないが、しっかり勝ち越している。
記録を調べて分かったのは、80年代の巨人、強いな・・。(リーグ優勝4回、日本一は2回-1981年、1989年)。


巨人vsヤクルトに話を戻すと、原やクロマティは特に打っていた記憶があり、ヤクルト戦で個人記録をかなり稼いでいた印象がある。


ここで個人的な思い出を。

小学生の時、そんな大好きな巨人vsヤクルトのカードを、ラッキーなことに生観戦できる機会があった。

ものすごく楽しみにしていた当日。
一緒に行く友達が家まで迎えに来てくれた。

さあ、出かけよう、と家を出かけたタイミングで、友達から、「あれ?なんか顔にぷつぷつできてるよ。」と心配そうに言われた。

親に顔を見せると、「これ、お兄ちゃんからハシカが伝染うつったのよ。」というまさかの宣告。

がーーーーん、、、

私は玄関の鏡を見た。たしかに、そこまでひどくはないものの、赤い発疹がぷつぷつと出ていた。。


結局試合観戦はあきらめざるを得ず、友達を見送った。

その日の試合は家でテレビで観たかどうか、覚えていない。

ただ、後日友達がお小遣いを出し合ってくれたのか、友達の親が気を遣ってくれたのか、ホーナーのサインをお土産にくれた。。

こないだ実家で発見しました。

友達は私の巨人好きを知っていたが、それでもホーナーのサイン色紙をお土産に選んだことが、当時のホーナーフィーバーを物語っていると思う。

この思い出は実は忘れていたのだけど、実家でサイン色紙を発見して思い出した。

私がときどき神宮球場にヤクルト戦を観に行くのは、無意識レベルでヤクルトファンなのかもしれない。。


<先月神宮で野球を見た時の記事です ↓>


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