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梶山徹夫「馬券で喰って何が悪い」を読んだ。

積読。

このnoteを始めてから、本を買うことが多くなった。

本屋やオンラインで競馬本を探し、競馬本を買う。

そして、ついでに色んな本を見ていると、競馬以外の本もついつい買ってしまう。

下は「積読」の一部分。


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競馬本がかなり多い。

ただ、実はふつうの本もかなり積読状態になっている。


積読になっている本の山から本を抜き出し、パラパラめくる。

そして、すっとその本の世界に入っていけたら、読み始める。

そんな読みかけ状態の本が今、数冊。


「馬券で喰ってどこが悪い」

馬券で喰ってどこが悪い_表紙

1995年発行の本。著者の梶山氏は当時の年齢で47、8歳。題名からも分かる通り、「馬券で喰って(生活して)」いる。

予想や馬券必勝法の伝授を飯のタネにしているのではなく、馬券だけで生活を成り立たせている。

この本は、入手したものの、いっとき「積読」状態だった。
ただ、前回「競馬オヤジ」ネタで記事を書き、なんだかその流れに乗り一気に読めてしまった。内容も面白かった。


競馬オヤジとは一線を画す「ばくち打ち」

梶山氏は、文字通り「馬券で喰っている」。

前回記事(↓)の渋い「競馬オヤジ」たちすら”甘く見えてしまう”、ばくち打ち。

このnoteで何度か著書を取り上げた”場外馬券オヤジ”で競馬ライターのかなざわいっせい氏について、梶山氏は友人らしいのだが、この本の中で以下のように書いている。

ナリタタイシンやマイヨジョンヌの牧場時代をともに過ごしたというこの男は、ロマンだらけで馬券が大甘、ベタベタの綿菓子ときている。

かなざわいっせい氏の馬券がロマンだらけというのは、「八方破れ」などを読んでいた自分としてはけっこう意外。

たしかにかなざわ氏の馬券戦法は一風変わっているが、ロマン派のようには感じていなかった。(”ロマン派”というのも定義が難しいが、競馬の持つ歴史的な面・血統の奥深さなどを愛し、ゆかりの馬は買わずにはおれないような人は、ロマン派と言えるのではないだろうか。)


梶山氏がなぜばくち打ちになったか、その経緯も本に書かれている。

元々はコピーライターだった梶山氏だが、その日限りで完結する仕事に憧れ、平日パチンコ、夜麻雀、土日競馬、という遊び人稼業に足を踏み入れる。

しかし、麻雀については、甘い敵を見つければカモれるものの、相手は人間。情が絡むと、守銭奴に徹することができない。

パチンコは、自分はやらないのでわからないが、かつてはクギの甘い台を確保すれば確実に勝てる時代があったようで、勝負はその勝てる台を見つけられるかどうか。日々、勝てる台探しを怠らず、梶山氏は日銭を稼げていたものの、時代が変わり台が変わると、勝ち続けることが難しくなったという。

そのようにして、梶山氏の軸足は競馬に移っていく。

土日だけの中央競馬のみならず、平日に開催される地方競馬も日銭稼ぎの対象としていく。


馬券に必勝法はない。

まえがきにこう書かれている。

ご存知のように、馬券は賭け事だ。互いのカネのとりっこというのに、何が悲しくて教えなきゃならん。本書にも、そんなおいしいことは書いていない。私の孤独で身勝手な馬券稼業が書かれているにすぎない。

・・ということで、この本には必勝法の類は出てこない。(ただ、梶山氏がどのように考えて馬券を買っているか、ノウハウの一端は紹介されてはいるが。)


あと、こんなことも書かれていた。

競馬関係の書物もラッシュを迎える。本書もその一つにすぎないが、競馬書物に救いを求めて書店に飛び込んでくるファンの期待に応える、ハウ・ツウものではない。
ご存知のように競馬というのは生き物で、馬券となるとナマ物、化け物。間違ってもこれでズバリ!といった法則などあろうはずがない。物の怪に取りつかれたかのように、必勝法など追い求めないで、目の前で行われている競馬という営みをもっと合理的に見ることが大切なのではないか。


と、こういう考え方の著者。

どんな馬券を買っているのかひけらかすのも嫌いだし、またその必要性もないのだが、1995年にはテレビ局から請われてテレビ番組で予想することになった経緯と、その結果も書かれている。

計3回出演したようなのだが、1回、2回と外し、3回目のダービーでは見事タヤスツヨシ、ジェニュインの馬連5.9倍を一点で仕留めている。

しかも、過去2回外した著者は、そのお詫びというか、今度は痛みを分かち合う、ということで自腹100万円を切っての大勝負に出て、見事勝ったのだから、プロの面目躍如、というエピソードで、面白かった。


”博徒にも三分のロマン”

梶山氏の言葉で、ばくち打ちとしてヒリヒリと馬券を買っていても、時にはロマンを追い求めたくなることもあるようだ。

「大人とは感動を忘れた子供の姿だ。」という文章に出会い、競馬の中に子供が抱く新鮮な感動を見つけたいな、と思うようにもなった。

と書いている。

たしかに、本の中で梶山氏は上山競馬場へ旅打ちに出たり、河野元調教師や田中勝春騎手と一緒に香港競馬に遠征し、懇意にするアラン・ムンロの応援馬券を買っていたりする。

この辺は、”三分のロマン”の部分というか、梶山氏にとっては遊びの部分なのかもしれない。


馬券稼業の日々、三分のロマンの部分、共に生き様の側面だと思うが、どちらも興味深く読んだ。(ただ、読む前からわかっていたものの、馬券稼業のストレスはとてつもないものと感じられ、大抵の人には耐え切れないだろうと思った。)

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