
学部どこですか?〜摘読日記_10
荒川洋治さんのエッセイは、つまみ読みに最高です。

目次を見て、すき間時間にひとつふたつ、と読む。

「遠い名作」
『失われた時を求めて』を積読しつづけて早数十年、というお話。
プチット・マドレーヌというお菓子を紅茶にひたす場面になり、ああ、ここだ、ここがあの有名な場面だと思い、安心してしまうのだ。紅茶のあとへ、すすまない。
私もちくま文庫の一巻をろくに読み終えたことがない。
はっきり言って眠れない夜に読むのにいい本だと思っている。。
「クリームドーナツ」
クリームドーナツという呼び名のパンが好きだ。二年前から、K駅のわきにあるコーヒーとパンの店に通う。一二〇円。やわらかくて、おいしい。
三つぐらいたいらげたいのを、お店の人の目を気にしてひとつふたつ別の種類のパンをいっしょに買う、という、そういうことしちゃいますよね、というお話。

「文学は実学である」
文学は空理、空論。経済の時代なので、肩身がせまい。たのみの大学は「文学」の名を看板から外し、先生たちも「文学は世間では役に立たないが」という弱気な前置きで話す。
それくらいの激しい力が文学にはある。読む人の現実を生活を一変させるのだ。文学は現実的なもの、強力な「実」の世界なのだ。文学を「虚」学とみるところに、大きなあやまりがある。科学、医学、経済学、法律学など、これまで実学と思われていたものが、実学として「あやしげな」ものになっていること、人間をくるわせるものになってきたことを思えば、文学の立場は見えてくるはずだ。
「実の世界」を「社会」と読み替えるのは乱暴過ぎるだろうか?
社会に出たら、学部は関係ない、というよりももっと積極的な、「文学の力」の肯定。
あとは、「読書のようす」というエッセイの中の、読書の分類も面白い。
[趣味は読書、の人]
[本好き]
[読書家]
[読書人]
[蔵書家]
[愛書家]
などに分類している。
自分はどれかなあと考えてしまった。
プロフィールにまさに「本好き」と書いてしまっているけど、荒川さんの解説によると、
書店ではベストセラーや話題の本の売り場に直行、ひやかすのではなく、必ず一冊は買って帰る。
うーん。。
自分は違うかも。。
「読書家」は、
イギリスの批評家アーノルド・ベネットの名著『文学趣味(一九〇九)によると、収入の五パーセント以上を本代にあてるのが、読書家の条件らしい。書斎にも、かなり本がある感じ。
そこまででも、ない。
うーん、「摘読家」にしておこうかな。