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自分を慈しんで生きるだけでいい。

毎日自分の目の前に起きてきたことを1つ1つ紐解くようにしている。
とは言ってもそんなに複雑でも無くて、全て【自分を蔑ろにしてなかった?】というところに辿り着く。

きっと歳を重ねるうちに私たちはありとあらゆることを複雑にしてしまって、複雑に捉えるようになり、複雑だからその問題を解決するには困難だと思うようになってしまったんだと思う。

自分の子供の頃の思考や感情を時々思い出してみるけれど、特に小学校4年生くらいまでは、ただただそこにあるものをそのまま受け止めて、楽しんで、泣いて、だったと思う。
自分を責めることが全くなかったわけではないけれど、もっとシンプルだった。

ある頃から自分を責め続けてきた人生だったので、自分が悪いと思うことが正しいって思い込んでいた。
そのくせうまくいかないことがあれば、誰かのせいにしたくて、いつもいつも途中で放り投げる。
これを繰り返してきたせいで、最初は小さかった自己否定の塵が、どんどん大きくなって、水になんて流せないほどの大きな大きな塊へと変化していった。
その塊はカッチカチに固まって、自分では崩すことすらできず、結果、大きな問題が起きた。

粉々になった塵を目の前にして、色んな視点から眺めてみたけれど、誰かの助言を受けるとか、そういうことではなくて、自分を日々慈しむことでしか塵を解放できないんだと知った。
きっと、これを知るために問題(のようにみえること)が起きたんだと受け止めているし、我慢はするものじゃないという助言だったと確信している。

日々の忙しさとか、外側で起きていることに引っ張られていると、面白いくらいに自分が乱れてしまって、外側に体当たりしてしまう。
ああ、またやっちゃったな。
私は私を慈しむことに注力していたら良かったのに、と。

決して自分【だけ】を大切にしておけばいいという事ではなくて、まずは自分だよねって話。
自分さえ良ければいいということではなくて、自分の出すエネルギーにできるだけ淀みが無い方が、良いよねって話。



昨日は久しぶりに自分が爆発してしまったので、今日は誰に何を言われても深刻に受け止めずに、自分に目を向けようと思ってます。

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