~今宵も旅して~|高速道路から始まる今
ーあなたにベストウェイ、ネクスコ東日本ー
車のスピーカーから聞き取りにくいハイウェイラジオが流れる。車で旅行に連れて行ってもらうとき、車中の楽しみはハイウェイラジオを聴くことだった。運転もしていないのにまったく変な子供である。
幼児期~小学生くらいまで、家族旅行は車で出かけるのが定番だった。その途中に必ず高速道路を使う。
ハイウェイラジオは高速道路上でないと聴くことが出来ないという非日常感を感じられるからだろうか、私は結構好きなのだ。
放送箇所はそう多くないので1回でもチャンスを逃したくなかったのだが、高速道路上で受信環境が悪い。ガサガサとノイズ音が入ってしまい、クリアに聞けたことはあまりない。音量が小さくてもよく聞こえない。反対に音量を上げても、スピーカーが張り裂けそうなほど激しく放送の女性の声の抑揚ばかりが伝わってきて、結局何を言っているのかよくわからなくなってしまう。音量の加減がなかなか難しい。
ところで、私が生まれたとき、高速道路の管轄は既にネクスコになっていた。日本道路公団時代のハイウェイラジオは聞いたことがない。道路公団時代のラジオは一体どんなものなのか、少し気になったので、ユーチューブで調べてみた。意外と多くのハイウェイラジオ動画があって驚いた。聞いてみたところ、ジングルが「JH 日本道路公団ハイウェイラジオ・・・♪」と、なかなか明るいものだった。が、この放送が妙に懐かしい。ネクスコより道路公団の方が聞きなじみがあるなあ、といつものようにあるはずもない当時の記憶が蘇ってきそうになる。
高速道路の思い出といえば、もう一つある。
母が、移動中に退屈しないように、と提案してくれた遊びだ。その遊びとは、通過したインターチェンジ・サービスエリア・トンネル・ジャンクションの名前と通過時刻をノートに書いてく、というシンプルなことだった。今考えると随分変な遊びを教えてくれたものだ。
私はこれにドはまりし、これを何回もやった。
繰り返しやったからだろうか、上信越道と北陸道のインターチェンジやサービスエリア名などを暗記していることと字形を崩さずに文字を異常に速いスピードで書けるようになったということは誇れることかもしれない。
もちろん、スマホなど当然持っておらず、車で出かけるときはノートと鉛筆が必須アイテムだった。しかし、インターやサービスエリアも次々に現れるわけではなくある程度の距離がある。その時は、ノートを抱えながら、嫌でも景色を見ているしかなかった。が、ぼんやりと景色を見ているのは私にとって結構楽しかった。
おとなしく景色を見ている小学生だったと思われるが、それが影響してか、あらゆる風景を見るのが好きになった。
それは未だに続いている。まだ運転免許はないので、私はよく鉄道に乗りに出かける。車両が好き、というわけではなく車窓が好きなのだ。ただ、ぼんやりと景色を眺める。スマホも使わず、一応デジカメを片手に持っておき席にダラリと座る。一見退屈そうな行為だが、これが楽しい。日々封印されている幸せホルモンは一気に放出される。こういうことも、高速道路の体験が無かったら、やっていなかったと思う。
私の旅の原点でもある高速道路の体験から続く、移ろいゆく景色を眺めることはなかなか良いものである。特に、田舎の村の景色や緑は心の栄養だ。これからも定期的に摂取し、健やかな生活を送りたい。