《大学入学共通テスト倫理》のための聖徳太子
大学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。聖徳太子(574~622)。キーワード:「凡夫(ぼんぷ)」「世間虚仮(せけんこけ)・唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」「和をもって貴しとし……」主著『十七条憲法』『三経義疏(さんぎょうのぎしょ)』
聖徳太子はこんな人(伝承)
画像はお札の肖像の元となっている「唐本御影(聖徳太子二王子像)」。伝説では23歳の肖像ということになります。二王子より肌艶もよく、たしかに若く感じます。
📝聖徳太子はそんな若さで総理大臣的ポジションに立ちます!
推古天皇元年4月10日(593年5月15日)、甥の厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子として万機を摂行させた。(フリー百科事典「ウィキペディア」、推古天皇のページから引用)
つまり、20代にならないうちに聖徳太子は日本の政治のトップに立っています(で、30年そのポジションにいます!)。用明天皇の子であり蘇我氏と血縁というのもありますが、優秀な人物であったことがうかがえます。「万機(ばんき⇒多くの政治上の重要な事柄)」。「摂行(せっこう⇒政務を代行すること)」
📝しかし、彼の治政はラクなものではなかったようです!
厩戸皇子は蘇我氏と強い血縁関係にあった。(略)馬子は泊瀬部皇子を皇位につけた(崇峻天皇)。しかし政治の実権は馬子が持ち、これに不満な崇峻天皇は馬子と対立した。崇峻天皇5年(592年)、馬子は東漢駒に崇峻天皇を暗殺させた。(略)その後、馬子は豊御食炊屋姫を擁立して皇位につけた(推古天皇)。(略)厩戸皇子は皇太子となり、馬子と共に天皇を補佐した。(フリー百科事典「ウィキペディア」、聖徳太子のページから引用)
戦乱や政変の続く時代に聖徳太子(厩戸皇子、うまやどのみこ)は十代を過ごしました。その政変の渦の中心にいたのは新興豪族の蘇我馬子。その蘇我馬子と協力的に政治を執り行っています。2人は古事記や日本書紀の伝承をみると完全にキャラが分かれていて、聖徳太子がライトサイドで蘇我馬子がダークサイドな感じです。それで同一人物の両面であると主張をする学者がいるほどです。
📝そんな聖徳太子の治世のための切り札は仏教でした!
厩戸皇子は『法華経』・『維摩経』・『勝鬘経』の三つの経の解説書(『三経義疏』)を書き、『十七条憲法』の第二条に、「篤(あつく)く三宝を敬へ(略)」と書くなど、仏教の導入に積極的な役割を果たした。この後、仏教は国家鎮護の道具となり、天皇家自ら寺を建てるようになった。(フリー百科事典「ウィキペディア」、日本の仏教のページから引用)
新興豪族の蘇我氏も肯定的だった仏教。この時期の仏教は大陸から渡来したばかりの新思想であり、蘇我馬子と協力して治政をした聖徳太子が「国家鎮護(国の争いをしずめて平安にすること)」のために日本に広めています。「三宝(さんぽう)」とは仏法僧のこと。仏陀、その教えである法、それを広める宗教集団を指す言葉です。
📝聖徳太子の広めた仏教的「和」を見ていきましょう!
これは伝聖徳太子作『法華義疏』写本。『法華経』はサンスクリット語で書かれた初期大乗仏教の経典であり、鳩摩羅什が5世紀に訳した『妙法蓮華経』として、お経と言えばこれというくらい有名な経典です。この経典は現実世界は過去現在未来にわたって衆生(全ての人間)を救うために仏が存在するという信仰を説いています。つまり、宗教らしいメシアニズム(神による平等な平和の志向)の書であり、聖徳太子はそれを継承して治政を行います。この画像で分かるように、この時期の記録は漢文です。以下の引用は、その読み下しと現代語訳で行うことをご了解ください。
📝まず、「仏」の前での衆生の平等を説きます!
人皆心有り。(略)我必ず聖(さか)しきに非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ、凡夫/人にはみなそれぞれ思うところがあり(略)自分がかならずしも聖人なのではなく、また他人が必ずしも愚者なのでもない。両方とも凡夫(略)である。(『日本思想体系2 聖徳太子集』(岩波書店、ただし、丸括弧を省きルビ替わりの丸括弧を足し、カタカナも全て平仮名にした)/『日本の名著 聖徳太子』(中央公論社)から引用)
これが聖徳太子の「凡夫(ぼんぷ⇒平凡人)」。役人や人民の心構えを説いた『十七条憲法(憲法十七条)』十条から。仏の教えを完全に悟ることがない私たちを全て「凡夫」と呼び、絶対的な正しさではないのだから他人と和解しなさいと説いています。
📝次に、聖徳太子の仏教観は仏教哲学の根幹に迫っています!
「世間(よのなか)は虚(うつは)り假(か)りにして、唯(ただ)佛(ほとけ)のみ是(これ)真(まこと)そ」/『世間は虚仮(こけ)であり、ただ仏のみ真実である』(『日本思想体系2 聖徳太子集』(岩波書店、ただし、丸括弧を省きルビ替わりの丸括弧を足し、カタカナも全て平仮名にした)/『日本の名著 聖徳太子』(中央公論社、ただしルビ替わりの丸括弧を足した)から引用)
これが聖徳太子の「世間虚仮・唯仏是真」。この聖徳太子の認識は、因果の根本に「空」をみる仏教哲学の根幹に触れていると言えるでしょう。また、妻にいつも語っていたという話を踏まえると、政治をきらい宗教の道に生きたかった聖徳太子の心情に触れる印象もあります。「虚仮(こけ⇒実体がないこと、おろかなこと)」。
📝引用の最後は、あの有名な言葉で〆ましょう!
和(やわら)ぐを以て貴しと為(す)。忤(さか)ふること無きを宗と為(す)。/和をもって貴(とうと)しとし、忤(さから)うことなきを宗とせよ。(『日本思想体系2 聖徳太子集』(岩波書店、ただし、丸括弧を省きルビ替わりの丸括弧を足し、カタカナも全て平仮名にした)/『日本の名著 聖徳太子』(中央公論社、ただしルビ替わりの丸括弧を足した)から引用)
これが聖徳太子の「和」。平和を尊いものと考えて、乱れ争うことないことを一番大事なこととしなさい、という程度の意味。これは『論語』に由来する言葉で、つまり聖徳太子は仏教だけでなく儒教も吸収して、それでもって役人と人民に「和」を説いたことになるでしょう。
後は小ネタを!
後代に聖徳太子伝説を描いた「聖徳太子絵伝」。私が好きなのは、11歳にしてあらゆる能力に秀でた伝説を描いた「諸童子と遊戯す」です。色白であかい着物をきたかわいい男の子が、3メートル位ジャンプしています。「聖徳太子絵伝」は聖徳太子の伝記を一枚にこれでもかと詰め込んだところが現代的な鑑賞の落ち着きを与えませんが、「諸童子と~」は、分身の術みたいに弓をひいたりジャンプしたりする元気な聖徳太子くんが描かれているところが、すごく楽しい箇所です。残念ながらパブリックドメインだと大きな作品すぎて、1人ずつの聖徳太子くんが小さすぎて紹介できません。