『ゴールデンスランバー』(伊坂幸太郎、新潮社)の感想
人気作家伊坂幸太郎の代表長編の一つ(かつて発売した日にこの作品を電車で読んでいる人を見かけたほどの人気作家だ)。伊坂の小説の定番の魅力は、どこかズレた愛すべき登場人物たちが巻き込まれたり巻き起こしたりするオフビートな事件の面白さや痛快さにあったと思う。その意味で伊坂の小説はクドカンやタランティーノの「映画」によく似ていた。
しかし今回の作品は著者自身が『JFK』+『逃亡者』を狙ったら結局『エネミー・オブ・アメリカ』+『スパイ・ゲーム』みたいになったと言うように、バリバリの社会派エンターテイメント作品である。愛すべき登場人物たちも、容赦なく「大きな権力」に巻き込まれていく(また、命も落としていく)のである。
元宅配ドライバーの青柳雅春は、唐突に首相暗殺事件の犯人として指名手配をかけられる。これは全くの冤罪で、ここにはおそらく国家権力レベルの陰謀がある。青柳は逃亡できるのか、この陰謀を阻止できるのかという筋。
ハリウッド映画の主人公ならば、絶体絶命のピンチに立ち向かい、組織を壊滅させる反撃を行うだろう。だけれども、青柳にはっきりそんな力はない。それが現実だ。では、人は権力に巻き込まれたら犠牲になるしかないのだろうか。
このような問いが、『魔王』以後の作家によって、誤解しようのない真摯さで問われている。
「偉いやつらの作った、大きな理不尽なものに襲われたら、まあ、唯一俺たちにできるのは、逃げることくらいだな」と真顔で話していたのは印象に残った。「でかい理不尽な力に狙われたら、どこかに身を潜めて、逃げ切るしかないんだよ」
「どういうことだよ」
「おまえさ、海で鯨に襲われたらどうする?」
「鯨って、襲ってくるのか?」
「襲うだろ、そりゃ。人間ってのはみんなに嫌われてるんだぜ。で、おまえは、鯨と闘うか? 無理だろ。真っ向勝負を挑むのか? マッコウクジラだけに? ないだろ。青柳なんて、飲み込まれておしまいだよ。ピノキオじゃねえんだから」
「おまえだって、飲み込まれておしまいだ」
「だから、一番利口なのは」
「利口なのは?」
「逃げることだって。泳いで、逃げる。それしかねえよ。無様でもいいからな、必死に逃げろ」
「泳いでも、飲み込まれるって」(p363-364)
読み終わって1部~3部のプロローグを読むことで、歴史の中の現実についての味わいの増す一冊。それにしても伊坂幸太郎氏の巨悪に対する姿勢は真剣だ。