『第七官界彷徨』(尾崎翠、河出文庫)の感想
『第七官界彷徨(だいななかんかいほうこう)』の感想を書きます。すごいタイトルですし、尾崎翠(おさきみどり)も知らないかたもいると思いますが、抜群にポップでシュールな名作ですので、ぜひご覧ください。/星屋
「みなの姓名を挙げたついでに、私は私自身の姓名などについて言っておこう。私は小野一助と小野二助の妹にあたり、佐田三五郎の従妹にあたるもので、小野町子という姓名が与えられていたけれど、この姓名はたいへんな佳人(かじん)を聨想(れんそう)させるようにできているので、真面目に考えるとき私はいつも私の姓名にけむったい思いをさせられた。この姓名から一人の痩せた赤毛の娘を想像する人はいないであろう。」(p11)と言う町子と三人の男性の共同生活を描いた物語。そして、町子の「ひとつの恋(こい)」(p9)が主題であることが冒頭に明示されている。
町子は誰に恋をしているのか。その恋の対象はなかなか明らかにならない。それは町子の書きたい「第七官界(の詩)」というものの謎さ加減と通じている。「こんな広々とした霧のかかった心理界が第七官の世界というものではないだろうか」(p36-37)と言われる「こんな」とは、「女はA助を愛していることだけを自覚して、B助を愛していることは自覚しないであろう」(p36)という町子の「勝手な考え」(同)による「分裂心理」(同)である。ということは、一助(A助?)や二助(B助?)への恋の分裂や、また話者とより親密な三五郎にも分裂し、どの登場人物とも恋をする可能性が読まれるのだ。
けれども物語は、そのような恋愛観(第七官界観)を裏切るようにエピローグがつづられる。「私の恋愛のはじまったのは、ふとした晩秋の秋のことであった」(p151)と突然宣言され、初登場の人物が紹介される。「「僕の好きな詩人に似ている女の子に何か買ってやろう。いちばん欲しいものは何か言ってごらん」/ そして私は柳浩六氏からくびまき一つ買ってもらったのである。」(p166)という柳浩六氏だ(六がポイント)。彼が恋愛対象であるようなのだ。
しかし、「ひとつの恋」と「恋愛」は別ものだと思う。町子は「風や煙の詩を書きたい(略)けれど私がノオトに書いたのは(略)哀感のこもった恋の詩であった」(p167)と言う。この「風や煙の詩」が恋のヒントとなる。「こまかい粉の世界」であり「風や煙の詩」である恋。それは「匂いとしての恋」だと言えると思う。
「匂いとしての恋」とは、恋の気配であろう。それは明確な恋の形をとったときに失われてしまう何かだ。だからこそ町子は、失恋するために「恋愛」を求めた可能性があると思っている。町子は最初から柳浩六が「遠い土地」(p165)に行くことを知っていた。変な言い方だが、消えてしまう「匂いとしての恋」を定着させるために、はっきりとした失恋を生きることを町子が選んだように思える。つまり、みんなが大好きだという「ひとつの恋」のため、はっきりとした痕跡が残る一つの失恋を選んだと言えるのである。
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