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『ペスト』(アルベール・カミュ、新潮文庫)の感想

 ある都市で伝染病が蔓延し外界から隔離される。その三カ月ほどの出来事を描いた作品。日本のエンターテイメント作品としてこの状況が書かれたら「限界状況下での人間の悪」を暴くことが主題となる気がする。しかし、本作に守られた「ある種の控え目さ」(p447)は、「断然、すべての人々のために語るべきであった」(p448)という倫理性から生まれる。
 この「すべての人々」には私たちも含まれる。例えば私たちにとって死は「想像のなかでは一抹(いちまつ)の煙にすぎない」(p57)。このように、私たちは他人の死に無感覚である。それが私たちの生をも無感覚にしていることも気づかずに。きっと、私たちがフィクションの描く「人間の悪」に求めるものは、この無感覚を消し去るショックだろう。
 私たちは「一抹の煙」になるまで何をするか。それは他の「一抹の煙」に対して意味を持ち得るのか。カミュはこう答える。「知識と記憶」(p431)こそ「かけ」(同)るべきものだ。だから作中人物は決然と「語るべき」と考える。
 語りついでいくこと。この正義の試みは途方のない無力を私たちに刻みつづけるだろう。なぜならそれは「地上には天災と犠牲者というものがあるということ」(p377)を繰り返し確認することだから。ある意味で、私たちの無感覚を無力へと開いていく認識の運動が『ペスト』にはある。しかし、「できうるかぎり天災に与(くみ)することを拒否しなければならぬ」(同)。愛さえも「力強いものではない」(p431)事実を認識しながら、なお私たちには立ち向かう力があるとカミュは考えるのだ。

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