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日本の経済力?LaPuissanceEconomiqueDuJapon

 フランス留学生活2年目が過ぎようとしている。渡仏前、私は一般企業の専門職に就いていて、それなりの大卒給料をもらっていたし、両親の自宅からの通勤だったため、留学費用を貯めると同時に、海外旅行を楽しむ余裕も持っていた。今考えると、かなりのリッチな感覚とそれに伴う消費をしていたと思う。お金を節約して使用するという事を考えなくても、お金がない危機感を感じずに過ごすことが出来ていた。

 化粧品や洋服を選ぶ場合の感覚は、値段を見ることからではなく、私の場合、製品の質を重視していた。例えば、コンタクトレンズの洗浄液を選ぶ場合、より効果的に汚れたんぱく質を除去すると評判の製品で、安全性の高いもの。そういえばいろいろと同じ効用の製品が置いてあったにもかかわらず、値段比較をしたことがない。

 洋服などは、あまり安いものだと型崩れが早いし、見た目にもすぐ飽きが来ると判断した後、あまりに高いブランド物にはもともとあまり興味がないが、いい生地を使っていて、気に入った色で、ちょっと素敵な服はなかなか値が張る。それでも気に入ったものなら、ちょっと頑張れば買えてしまっていた。より安い値段のものを探すという感覚をすっかり持っていなかった。

 貧乏留学生の今、その感覚を思い出してみると、なんて優雅だったんだろう、これが自分の感覚だったのだろうかと夢見る心地に似たものを感じる。しかし、多く(?)の日本人は、ちょっと前の私のような消費感覚を普通に持っているのではないだろうか。私も、この留学生活をしなければ、きっと以前の消費感覚を持ち続けていたと思う。そのような状況が、経済大国日本なんだと、日本の外に出てみて実感を伴って分かってきた。

 日本人の海外旅行先で人気のある場所に、フランス・パリが入ってくると思うが、その人たちの消費行動を見ていると、あぁ、これが外国人から見た日本人の印象なんだなと、分かるようになってしまった。

 私費留学生としてパリに住むには、節約生活を上手く営まなければならない。食費は栄養の偏りのないようにとは気遣いながら、どうにか安く済むように考える。例えば、レトルト食品、惣菜などの出来合い品は高いので、自分で調理することで節約しようと、野菜と、お買い得になっているお肉、果物(旬のもの)を無駄にならない量だけ買ってきて調理する。

 留学当初、恥ずかしながら私は料理を作れなかった。ずっと母親の美味しい料理を満足して食べていられたので、その報いが一気に表面化してしまった。料理の出来なさ加減をちょっと披露してしまうと、まずジャガイモ、にんじんをやわらかくなるようにゆでることが出来ない(水から入れることを知らなかった)。ゆで卵をゆで卵らしく作ることが出来ない(中身が固まっていない状態で取り出してしまう)。肉の種類がわからない(豚肉、牛肉、鶏肉のどの部位がどんな形・性質をしているのか)。

 母親の手伝いを少しはしていた(ちょっかいを出していた?)時に覚えた料理の技は部分的で、餃子の皮の包み方(手先は器用な方らしい)、キャベツなどの千切り、りんごの皮むき(家庭科クラスで1等賞でした)ぐらい。ひとつの料理もまともに作れないことに気が付いて、本当にどうしようかと思った。

 何度か失敗を繰り返し(まずくても材料がもったいないから食べる!)、留学生仲間に料理を教えてもらうついでに一緒に食べたりして、どうにか料理らしきもの(男の料理?)を作れるようになるのに、3~4ヶ月かかった。その間、日本で飽食していた分、自分の体にくっついていたものが、剥がれ落ちるのに役立った。日本に居るときはやせようと思っても痩せられなかったが、自分の料理を食べなきゃならなくなって、かなりすっきりしました(8キロぐらいやせた!)。自分では日本に居たとき太っていたとは思わなかったのだが、今の自分から見ると、やっぱり飽食日本を表徴するかのようにふっくらしていたと思う。

 今は、この調味料を入れてみたら美味しいかもしれない、今度はこの食材を試してみようなど、ちょっと生意気なアレンジも利かせてみている。そんなことを考えながらマルシェへ行っていろんな材料を見ていると、以前は知らないようなフランス食材にメゲかけていたのが、これをこんな風に調理したらおいしいかもなぁと想像しながら、手にとってみることもできるようになった。所変れば品変るで、所変れば(自分の選ぶ)品も変るんだなぁと分かってきた。

 洋服や日用品は絶対にソルド(セール)で買う。通常の期間の半額以下になるのだから、この機を狙うのは節約生活の基本だろうが、それも私の場合、そのソルドも終わりかけの7割、8割引きの時のひょっとする掘り出し物に出くわした時にだけ買う。確かに、いい製品はソルド開始の1,2日でなくなってしまう。フランスのソルドは言ってみれば世界中の眼が注目しているわけだから当たり前だが、貧乏留学生にはそこに張り合う経済的気迫がない。せっかくモードの国フランス・パリに居るのだから、日本で同じ製品を買うよりも関税分など安いし、日本に輸出していない製品もあるので、そそられるのは当然だが、そこをぐっと抑える。この欲求を抑える感覚が、日本では味わったことのないものなのである。

 色も形も質もいい、そして私にちょうどいいサイズがある、なんとなく似合うと思う、それにソルドで半額。買いたい。値段は日本に居たときだったら買おうとすれば買う妥当な値段。だけど、この洋服は2ヶ月分の食費に当たる、と即計算してしまう自分が居る。そして、かなり後ろ髪引かれながらその店を後にする。ソルドでどうにか手に入れたものは、かなり厳選した結果である。それに満足しているかというとそうでもないが…。

 しかし、何度もその欲しい商品を見て、自分が本当に欲しいか、そして自分に合うかを考える癖は付く。この癖は、かなりのフランス人が持っているものだ。ショーウインドウの前に立ち尽くし、じ~っと欲しい商品を見つめる。そのために、店側はショーウインドウの装飾にとても凝る。なかなか素敵なショーウインドウが多いのは、じ~っと見る人が多いためなんだと分かった。やっぱり見られるとなんでも綺麗になるものである。

 そのようにじ~っと商品を見つめ、自分に合うかをじっくり考え、やっと商品を手にすると、やっぱりその商品はその人のセンスを表明するものになる。フランス人のセンスが個性的で自分に合っているものをさっと着こなしているという風に、女性雑誌などには書かれてあるのを見かけるが、商品の購入に際する熟慮が反映しているのだろうと、ショーウインドウの前にいきなり立ち止まる(ちょっと迷惑な)フランス人たちを観察して思った。

 なかなか商品の購入に踏み切らないという消費行動は、私の場合は貧乏留学生であるからであるが、一般フランス人の場合は、ケチケチ精神にあると思う。住んでみて分かったことだが、彼らは本当~にケチなのである。そのケチさ具合を自慢するテレビドキュメントもある。

 歴史を紐解いて考えてみると、キリスト教カトリックは、蓄財をよしとしない。キリストは「金持ちが天に行けるのは、針の穴を通るよりも可能性が低い」というようなことを聖書のなかで言っている。という理由なのかどうなのかは、実のところ風習の問題でよく分からないが、そのドケチな発想には時々たまげる。

 ある企業に勤めるフランス人は、グランゼコール出身で順調に行けば、学歴社会のフランスでは上級管理職になるような地位にあり、言ってみればお金に困っている状況にはない。その夫婦の家にはテレビがなかった。なので、テレビがほしいなぁと彼らは思った。フランスでは、テレビを購入すると国に税金を納めるように1度だけ請求が来る。しかし、同じ人が2台目のテレビを購入した場合、その請求は来ない。そこに眼を付けたこのフランス人は、あるテレビを持っている日本人留学生に2台目を購入してくれないだろうか、と持ちかけた。税金分をケチるために、この留学生に頼んだのだ。それはいい考えなのかもしれないが、給料をもらっているフランス人が、日本人とはいえ節約生活している留学生に、税金分をケチるために頼むことは、ちょっとみっともない行いのように思える。

 その他にも、結婚式のご祝儀に夫婦で40ユーロ(5000円強)だけ渡すというケースもあった。日本でのご祝儀の相場は、親しい間柄で3万円ぐらいだろうか。夫婦ではなくてひとりで出席したとしても1万円は出すだろう。その40ユーロをもらった人は、信じられないケチさ!と怒っていた。フランス人のケチさには閉口する場面も度々だが、このケチさがモード感覚の洗練さにも結びついていると考えると美徳なのか悪徳なのかの判断は容易ではない。

 私もフランス人のようではないにしても、消費を抑える、どうにか安いものを手に入れる、自分に見合うものを手に入れるという感覚を身につけつつある今、パリに観光客としてきている日本人の消費行動にはびっくり仰天してしまっている。日本人のブランド好きはよく知られているが、私はもともとブランド物にそう興味を惹きつけられるほうではないので事情に疎かったし、会社員だった時も一度パリに観光客としてきた事があるが、私は美術館派でブティックなどを覗いたことはなかった。

 こっちに住む事になって日本から友人が来た時に、この友人がルイ・ヴィトンの財布を買いたいと言うので、初めてシャンゼリゼ通りにある巨大なブティックに足を踏み入れた。私はその店に入る前から、貧乏留学生には縁遠い店だなぁ、なんか入りづらいなぁと思っていた。そして入ってみたところ、店の中は日本人ば~っかり!!噂には聞いていたが、本当だったんだ!と興味津々。

 これも社会見学だと、3階構造になっている店内をぐるりと巡ってみた。特に女性もの売り場に、日本人がいっぱい。商品もついでに見て回ると、なかなか素敵な色のバッグが置いてあった。確かに人気があるのも分かる。しかし、店内をぐるっと回って、見かけたお客層の割合は、10人中、日本人7人、中国人2人、アメリカ人1人の割合だった。すごすぎる。ちらっと値段を見てみたら、2000ユーロ(25万ぐらい)がざらである。ひぇ~高い~とひとりで慄いていた。それを2,3個購入済みのバックを持って店内を物色している日本人親子がいるのである。はぁ~、なんか疲れてきた。心の中で、「1つでも大したモンだよあなた。もういいじゃないか。」とこの親子を説得している自分が居る。

 見回すと、年齢的には私と変らないような女性が多かったから、おそらくOLか大学生だろうと思う。私の以前の消費感覚を増強したような感覚で、このような高価なバックをちょっとした気合で買ってしまえるのである。パリにある大きなブランドのブティックには、日本人販売員も居る。需要と供給に則っているのであろう。しかし、ある有名ブランドのフランス人店員が、日本人ばっかりよねぇと文句をぶつっとこぼしているのを聞いた。ブランドものの高いバックなど、日本人ぐらいしか買えないのかもしれないが、しかし日本人の消費行動にはたまげた。

 余計なお世話ながら、その素敵な色のバッグが自分に似合うのか、本当に欲しいのかを見極めて購入しているのか疑問である。ブランド品の値段の水準が、経済大国日本の価格水準と、自分のステイタスを上げてくれそうな、いい感じの割高さに微妙にマッチし、パリに来た日本人観光客はその優越感をそそられる値段設定に魅力を感じるのであろう。フランスの社会学者ボードリヤールが『消費社会の神話と構造』で述べていた、消費行動が記号となるとはこういうことなのか、とひとり納得していた。

 そしてフランスは、そうゆうものが売っている国であるから、日本と同じ経済感覚を持っているのだろうと錯覚するが、それが全く違うのである。今でもフランス社会に階級性が依然として残っているように、消費できる経済力にも階級がある。日本人は全体的に経済大国の恩恵を受けているので、消費感覚が言ってみればフランスの上流社会にあたると思う。そのフランスの上流階級も例のケチケチ感覚を持っているから、購入に踏み切るまでが遅い。しかしその点、金離れのいい日本人は、フランス上流社会の経済力を持ってして購入がすばやいのである。上流階級とは、フランスでも限られたものだから、多くの人は、むしろ貧乏留学生の私のような消費行動を取る。さすが経済大国だ。と外から見た日本を実感してしまった。

 ブティック以外の場所で出会った日本人観光客の行動にも眼を見張ってしまうものがある。例えば、世界の大富豪が泊まるような超高級ホテルに、私と同じぐらいの年齢のカップルが泊まっているようで、そのホテルから出てきて、目の前に止まっているタクシーにさっさと乗って出かけていた。

 私は、そのタクシー乗り場の近くにあるバス乗り場でバスを待っていたのだが、えっ!噂には聞いてたけど本当にこんな行動してるの?とまたびっくり。渋谷に出かけるようなかなりラフな格好をして、斜めがけのスリ防止用バックは当然というなりだ。その高級ホテルの前には、超高級車がずらっと勢ぞろいしており、ドアマンなどが立ち働いている。このようなホテルは、ある意味社交場なので、西洋文化を担っている人たちはみんなスーツを着ている。女性もちょっと素敵なドレスのような格好をしていた。なのに、このカップルはどうしたことだ?なんでそんな運動しに行くような格好をしているんだ?

 なにも西欧人のように振る舞えと言いたいのではなくて、日本社会でもお茶会があれば、それなりの格好をして行くように、西洋社会にもそれなりの格好をする場面があるだろうと思うのである。観光するのに動きやすいほうがいいのなら、「もうちょっとTシャツではなくてなにかあるだろう?」と心の中で言ってみた。もしかしてハネムーンで、ホテルなどは奮発してしまったが、あとのことは追いつかなかったのかもしれないが、この種の文化ギャップがパリの至る所で発生していることを思うと、厳しいものがある。

 日本人のびっくり仰天なパリでの状況を貧乏留学生の眼から観察してみたとき、日本人の行動の不思議さに気づく。日本人の私にも、日本って、世界の中である意味桃源郷なのかもしれない、と思えてきた。

※この文章は、2014年8月5日に書いたものです。

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