まぽじしょんあくちゅえるMaPositionActuelle numero1
私は今、フランスに留学していて、まぁ世間体に言えば私の属する世代(20代後半)のちょびっと高学歴(大学卒)な女性が更なる可能性を求めて、外国の地を踏むという輩のひとりである。人と同じというのでは、あんまり面白くないなぁという考えから、(これもまた、上記の世代の人々が考えそうな事なのだが…)自分の興味のある絵画、歴史、社会学、言語学をひっくるめて考える事の出来る環境としてフランスに来た私は、自分も含めた言語習得に来ている多くの日本人留学生を研究対象として見させてもらっている感覚もある。
確かに、私のしたい文化社会学をフランスで考えるには、手段としてフランス語の習得をしておかなければ話にならない。なので、フランス語習得のためにソルボンヌ大学付属語学学校に通っていて、そのクラスで様々なフランスに来た目的を聞く機会を得ている。 私のクラス(ソルボンヌ上級Ⅰ)には日本人留学生が多く、このクラスの7人はいずれも女性。そして商業フランス語の選択であることもあって、彼女達のフランスへ来た理由が、フランスに関する仕事を見つけたい、あるいは日本に帰って仕事のステップアップを図りたい、とのことだった。
彼女達のほうが、私の学生っぽい考え方よりも、日本人的にしっかりしていると思う。しかし、フランス語がそんなにビジネスチャンスに恵まれている言語だとは思えない。私が思うに、フランスという響き、雰囲気が大好きであることが作用しているように思う。
振り返って、自分はどうしてフランスに来ているのか、どうしてフランスを選んだのか、心底では未だに自分の謎である。フランスが好きだから…と素直に言えるなら、その答えに自信を持って、フランスを楽しむ努力をするだろう。しかし、私はそう無邪気に言いたくないらしい。
大学の卒業旅行にフランスを選んだ。友達3人と決めたのだが、なんの根拠もなかった。1月下旬のニースとパリ。観光シーズンではないので、閑散としていた。旅行客もあまり居ないので、ニースでのガイドさんは3人占め。そして、そのフランス人ガイドさんは私たちに聞いた。「なんでフランスに来たの?」私たちは、止まらないおしゃべりを一瞬戸惑った表情で濁した。「えっ、なんでだっけ?」フランス人であるガイドさんに、別に理由はないという面白くない答えをするのもなんだか憚られ、2,3秒間3人で目配せした。そして私は思いついた。「大学で、第二外国語をフランス語にしてたから」そうだった。とりあえず大学で選択していたのだった。そんなことも忘れがちになるほど、意識上にフランスはなかった。きっと、なんだか知らない間にこうなった、という方が、努力をしてやってきた、というイメージよりも私にはクールに映るから、私はそう装いたいのだろうか。
大学を卒業して社会人になった。私の仕事は旅行会社の情報システム部門。思いがけず研修のテストで高得点を取ってしまったせいでちょっとお姉さま方が厳しい、まじめに仕事をしなきゃなんないチームに配属されてしまう。 定時に終わる仕事ではなく、だんだん夜7時が8時、8時が10時、10時が12時に終わる状態になり(夜遊びが得意な性格ではないが、ぼ~っとする時間はほしい)終電に間に合うか否かが、帰る基準となっていった。地元の駅からはタクシー帰り(終バスが終わっているので)の日々でタクシーの運ちゃんに顔を覚えられ、タクシー世間話がうまくなる。そんな日々で海外旅行がまぁ唯一のお金の使いどころで、日本の日常から離れられる手段だった。
そこで、私はまたフランスに来てしまったのだ。なんでフランスにしたのか?卒業旅行で一回来ていて、初めてじゃない事で来やすかった。フランスの感じも悪くなかったし、石畳の道路、石で出来た建物、細かな曲線細工、いわゆる絵になる風景に感動したから。フランスに対する日本人のイメージが、すこぶる良く、フランスに行くというとある種のステータスに感じられるから。友達がブランド好きで、旅行する相手としては都合よかったから。というような理由も挙げられようが、ただ仕事から出来るだけ離れたくてフランスに1週間の旅行。
友達とは趣味が違うこともあってパリで別行動。そんなパリ滞在では楽しくないじゃない?って言われたこともあるが、日本へ帰る日の前日、ホテルで友人が帰るのを待つともなく待っている時、「あぁもう帰るんだなぁ、まだ居たいなぁ、でもまた来る気がする」と、ふと思った。はっきり言って、このパリ滞在期間、場違いなレストランへ行って恥をかいたり、不恰好な日本人観光客としての自分を見てしまった気がする。
そんなパリ滞在なのに、まだ居たいなぁと思ったのである。自分でも不思議な感覚だった。私の性格上、なんとなくつまらなかったり、なんとなく嫌な感じがしたら、無意識のうちに遠ざかりたい…という行動に出て、もうフランスに来ないだろうに、また来るだろうなぁと思ったのである。
その不思議な感覚を、日本に帰ってからも体の中に包まれた感覚として持ち続けていた。社会人2年目、3年目となり仕事も超過密を極め、システムの設計で1部門を任せられることになり、体力のない私は、デスクに普通に座っていられないぐらい疲労が溜まっていく。そんな状態でも仕事はやってくるので、整体師さん通いでなんとか仕事をこなしながら、3年目という私の中での区切りの年がやってきた。
どうしてもこの仕事を辞めて、海外に行かなければ私はず~っと悶々としているんだろうなぁという感覚が実感として感じられる日々。私はこの会社にずっと居る人間ではない、もっと何か出来るはず!とかいう勢いを伴った自己過信に走っているわけではないと思う。反対に、私は会社内で相当猫をかぶり、同期との接触をさけ、人付き合いの面倒さを回避し、自分をさらけ出さないようにしていた。自分がこの会社にいる状態を、普通の状態にすることが出来なかった、という方が正しいかもしれない。
会社ではいつも居心地の悪さを感じ、肩を縮め、目線はどこを見ているのかわからないように宙を舞う。そのくせ、仕事や、やらなきゃいけない事はやってしまわないと気がすまない性格から、さっさと仕事はするから、(仕事上の会話はしょうがなく、そして滞りなくしていた)私への仕事上の評価は高いようだった。
大規模プロジェクトを無事潜り抜け、1ヶ月間の見届け期間を過ごし、やっと退職することが出来た。海外への憧れは多分にあったと思う。だけど、どこにフランスでなければならない理由があったのか。そこに私は、絵画と歴史と社会学と言語学を並べてみた。そうするとフランスが浮かび上がってきた。留学するとなると、私の好きな期間、3年が浮かび上がってくる。お金はないが、なんとなく3年は居ることになるだろう。
フランス語ができなきゃやばいなぁということで、語学学校へ通う事になる。そこには噂どおりの日本人留学生の多さがあり、彼女らの目的は、曖昧さ(曖昧さを好んでいると言っていい)を多く含み、金持ち日本人の感覚と、他の国にはないフランス信仰がある(私もその影響下のひとりである)。
そこで、私は尊敬する鈴木孝夫さんの著作『閉ざされた言語・日本語の世界』(日本語の優れているところ、そして日本語を誇りに思っていない姿勢を取りたがる日本人の様子などを分析してある)をフランスで読む機会を得て、その現象にある注視すべき点を、フランスに居る日本人を通じて興味深く観察できているわけだ。
鈴木氏によると国の感覚、国のイメージ…は、1世紀単位のスパンで変わっていくもののようだ。またフランス版ニュースダイジェスト(パリで発行している無料日本語新聞)の記事によると、10世紀前となると世界の中心都市は、中国の唐の都:長安、アラブ世界の都:バクダッドであったらしい。その頃、現在の世界の中心都市、ニューヨーク、パリ、ロンドン、東京は、後進中の後進都市で、存在さえ認められていなかった。人の意識、興味は国の意識、興味で変わると言えそうだ。その辺を、言語への興味、憧れを含む感心の領域も含めて考えるのも面白い。こうして、いろいろな視点から考えることの出来る機会を得る場として、フランスという国に辿り着いた。それが、今の私の位置だと思う。
※この文章は、2014年2月14日にパリにて書いたものです。
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