見出し画像

小学2年生の事情LesCirconstancesdel'ecoleElementairedeDeuxiemeAnnee numero9

 パリで留学生活を続けていくために、また住居を確保するために得た仕事、住み込みベビーシッター。その仕事の何たるかについて、全く前知識もなしに、どうにかなるだろうという希望的(楽観的?)観測から開始してみた。この‘住み込み’っていうところにかなりのポイントがある。別階に部屋は持っていても、同じ建物に住んでいるので、フランス人の生活リズムに否が応でも巻き込まれるのだ。そこがまた、フランスの文化、常識、細かい気遣いなどを発見できる場でもあった。

 私の主な仕事であるベビーシッターで、7歳の男の子と2歳の女の子をみることになった。まず、7歳の男の子の生活環境について観察していく中で、発見したブルジョワ社会について。

 この男の子は、パリ16区にある私立小学校に通っている。16区とは、いわゆる高級住宅地で、日本で言う田園調布だろうか。その中にある私立小学校は、かなりのお坊ちゃま、お嬢ちゃまたちが通う高校までの一貫校である。その小学生の親たちは、疑いもなくブルジョワっている。

 私が見ている男の子と柔道教室が同じで、時々送り迎えを一緒にしていた男の子は、高級老舗時計ブランドの血筋を受け継いでいる子で、名前(フランス人には名前と苗字の間に隠し持った名前がある)にその受け継いでいる印が見られた。そして、この名前のことをその子に聞くと、「ぼくはこの名前にすごく誇りをもってるんだ!」と答えて、ちょっと誇らしげな顔をした。普段は、非常にのんびり屋で、担任の先生にも‘ふとっちょネズミ’とあだ名されるような子なのに、その名前を知ると、こののんびりさ加減、時間に構うことなく自分の準備をするところは、しつけが行き届いていて、細かい事を気にしない大物っていう風にも解釈できるのだろうか?と、苦し紛れに伝統からの解釈の改良を試みてみた。

 その子の父親は、その時計ブランドに関連した仕事をしているのだが、昔のブルジョワ的感覚が抜け切れないタイプで、今時30~40代の男性が、女性に挨拶するとき、手の甲に軽くキスをする貴族的な挨拶をする人など、かなり珍しいのだが、それを普通にしている。そしてその子の母親は、私が学校に迎えに行くと、直立不動の姿勢(‘休め’の姿勢ではなくて、‘気をつけ’の姿勢)で息子が出てくるのを待っている。PTAの役員もしていて、クラスのちょっとした遠足を企画して、自分の家(例の高級ブランド)の時計博物館にクラス全員を招待する。感じの悪い夫婦ではなく、むしろブルジョワフランス人にしては感じのいい方たちだったが、伝統ガッチリタイプで、息子もこうなるだろうことが容易に未来予想出来る。

私の見ている子は日仏ハーフの子なのだが、その学校には、もうひとり日仏ハーフの子と中国人とのハーフの男の子がいるだけで、他はフランス人が濃い子ばかり。2004年のフランス・パリで街中を歩いていると、移民、移民2世3世、旅行者、留学生で民族のるつぼであることがはっきりと認識出来る。地下鉄のなかで民族構成を見回したことがあるが、10人中、フランス人3人、東南アジア系2人、北方アジア系1人、ヒスパニック系2人、アフリカ系2人のような割合である。ちょっとたまげた状況である。

 そんなパリ社会の中で、フランス人が10人中10人にほぼ近い割合のこの小学校は、かなりの選抜とエリート意識をくすぐられる学校なのだろう。実際、高い授業料であることも影響している。しかし、学校側もこのエリート意識を学童の親たちに持たせることで、学校の権威を高めている。この小学校に入るには、日本のようなお受験制度というより、親の伝統、所得、教養のみを重視しているそうだ。その意味で、フランスブルジョワ階級を維持しようという意図とエリート意識の快感に親は酔いしれる事が出来る。

 ある親御さんは、「この学校に通わせてる親って、なんか話しづらいのよね。この学校を崇拝してるのよ。だから、学校の文句も言えないわ。」とこぼしていた。私も送り迎えの回数が重ねるにつれて、そういう意識に感づくようになった。

 私のような留学生ベビーシッターや、ベビーシッターを職業としている移民の人たちが学校に迎えに来ている割合はかなり高いのだが、たまに母親や父親、もしくはおばあさんやおじいさんが迎えに来ているのを見る。その人たちは、この小学校の中庭を一種の社交場と解釈している。特に隔週土曜日の送り迎えの時は、盛りだと言う。会社が休みで、親たちが一種の楽しみで小学校の中庭に子供を迎えにやってくる。そこには、グランゼコールの仲間や幼なじみが、同じように迎えに来ている。そして、小学校の中庭が完全な社交場となる。

 子供を迎えに行くだけなのに、なんでそんなにおしゃれしているんだろう?と仕事を開始した頃は思ったが、フランス人が濃い~状況なのだから、そのブルジョワ社会で恥をかく訳にはいかないのだ。移民、旅行者が幅を利かせている街中に向かうよりも、この小学校の中庭に向かう方が、気合が入るらしい。

 学校の行事や子供たちの生活にも、面白い発見がある。フランスの学校行事は、私の日本教育で育った感覚から言うと、かなり不思議だ。まず、学校行事は、学年単位、学校単位で行うものではない。どういうことかというと、2年1組はお城見学に行くけれども、2年2組、3組は行かない。他の例で言うと2年1組は1週間の林間学校に3年1組と一緒に行くが、2年2組、3組、3年2組、3組は行かないという具合。

 なぜそういう状況になるのかというと、単純に担任の先生の采配がかなりの幅を利かしているからのようだ。2年1組の先生が若いやる気のある先生で、腕白な子供たちを連れて行ける体力がある場合、遠足、林間学校を企画する。逆に2年2組の先生がかなりのベテラン先生で、歳相応に子供相手は疲れる場合、遠足などは企画しない。こんなことが許されるのだろうか。また、クラスのPTAが、上に書いた親の例のように企画し、子供たちを連れ出すこともある。それもクラス単位で。教育の平等って機会の平等と同義語のような気がしていたが、フランスではそんなことは大した問題ではないらしい。でも、私としては、2年1組に入りたい。

 子供たちの誕生日会もなかなか興味深い。仲のいい子を家に呼んで、プレゼントをもらい、ケーキやお菓子を食べたりして過ごすことは、私も経験したところである。しかし、ブルジョワっている家庭では、それに付随した諸々のことが、いちいち大げさなのである。

 まず、友達を招待するにあたって、招待状を親が作る。その招待状には、誕生日を迎える子供の写真や絵をスキャナーでコンピュータに取り込み、それを中心に、日時、場所、電話番号、そして、来れるかどうかを連絡してくださいと明記する。もちろん、電話で連絡を取るのは親同士、プレゼントは何がいいかなどもそこでアンケートする。場所が、特にブルジョワチックで、有名な美術館の中にあるサロンを貸しきって誕生日会場としたり、もしくは、広~い自宅アパルトマンの1室に、3人ぐらいのアニマトリス(誕生日を盛り上げるために雇った、役者の卵だったり、マジシャンだったりの人たち)を呼んで、子供たちを喜ばせたりしている。私が見たのは、童話に出てきそうな王子様とお姫様の格好をして、マイクでしゃべっているアニマトリスと、黒いタキシードが怪しいマジシャンだった。

 たかが誕生日ごときに、ここまで親が一生懸命にならなくてもいいんじゃないか?とちょっぴり嘲笑じみた笑いが出てしまう。クラスの子たち全員を呼ぶ場合もあれば、仲の良い数人の場合もあるのだが、親がここまでセッティングするのは、この学校でのつながりをかなり重要視しているところに由来すると感じられた。上に書いたように、フランス人の濃い~状態で、親はブルジョワ階級ばかり、そしてクラスメートたちも親の教養、文化を受け継いで、成長した時には、社会のなかで上流階級を形成すると目論まれている。実際、小学校時代の友人、幼馴染を最も親しい友人であるとしているブルジョワフランス人は多いようだ(ただし、成長した時のお互いの状態によるが)。

 日本でもお受験で、入るのが難しい幼稚園、小学校などが存在するが、こんな感じなのだろうか。親たちの目論みが、子供たちを喜ばせる場面において異常に発せられるように思われ、なんだか人間喜劇の縮図のようだ。

 この小学校には、有名政治家の息子も通っていた。いつものように、学校に迎えに行ったとき、他の子供はまだ中庭で帰る準備をして出てきていないのに、学校の門のところに、その閣僚政治家の妻と、いつも迎えに来ている政治家のSPが、息子を連れて、この小学校の校長先生と話しているのに出くわした。そういえば、その日は第2回目地方選挙の投票日で、政治家にとっては重要な日だったらしい。それに、その政治家は、大胆な政治手法で人気がある反面、反対する勢力も浮き彫りになっている人物で、SPも居るに越した事のない人物ではある。そして、その子供はかなりの特別扱いをされていた。ふ~ん、フランスの学校って親によって子供の扱いが違うんだなぁと思った。

 実際、フランスの教育現場では、先生による生徒の贔屓は当然だし、したがって親への贔屓、しかも政治に対する学校の贔屓はかなり当然に受け入れられている。その場面に出くわして以来、私はちょっと注意して迎えに来ている人たちを観察してみたら、居るわ居るわ、SPたち。ざっと5人は居ました。ひと目でSPとわかるところがまたおかしい。大抵、グレーのスーツに身を包み、赤系のネクタイをし、髪は短めで整えてある。そして、鍛えられたような体格をし、厳しい表情を崩さない。小学校の中庭に、かなり馴染んでいないので、本人たちも居心地が悪いのではないかと想像する。そして、子供たちが出てきたら、その子供の頭を軽くポンっとたたいて、あまり話もせず、タッタッタといい位置に止めた高級車につれていく。日本の白百合学園とかがこんな感じであると聞いたことがあるが、そのフランス版ですか。

 他にも、働かなくてもブルジョワ階級として生きていけるぐらいの財産を持っている家庭の子息だったり、世界に知られた企業の跡取りだったりという子供たちが、私の迎えに行く時間には、それぞれの迎えの人について帰っていく。この子供たちが、かなりの確率で、フランスの将来の指揮を執る位置に収まるのだろう。小学校の狭い中庭に形成される小世界で、ちょっとした未来予想をしてみた。

※この文章は、2014年8月4日に書いたものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?