ロンドンを巡る奇妙な冒険 第2部 ー切り裂きジャック編ー
切り裂きジャック事件の深淵を覗く ―ロンドンのダーク・ツーリズム—
ロンドンに行くならホワイトチャペル地区を訪れ、切り裂きジャックの歴史を歩きながら探索してみるのはどうでしょう。1888年9月、労働者階級が多く住むロンドンのホワイトチャペル地区で、5人の娼婦が次々と殺害されました。この「ホワイトチャペル殺人事件」の犯人として浮かび上がった切り裂きジャック(Jack the Ripper[1])の正体は未だ判明しておらず、これまでにも数多くの推理や俗説、憶測が生まれ続け、現在も尽きることがありません。リッパーに興味を抱いて調査や研究を行う人々をリッパロロジスト(Ripperologist)と呼ぶようです。
「殺人の20世紀」の幕開けとなった犯罪史上初の都市型連続殺人事件は、すべての憶測を吸い込み、次々と新たな謎を生み出すブラックホールのようなシリアル・キラー事件として記憶されています。ロンドンのホワイトチャペルを訪れれば今でも、この事件の片鱗を垣間見ることができるでしょう。リッパーについて知れば知るほど、その存在を巡る社会の状況、例えばヴィクトリア朝期における貧困問題や容赦のないジェンダー格差も浮かび上がってきます。このような負の歴史を辿り過去の痛みや悲しみを見つめる営みを「ダーク・ツーリズム」と呼ぶこともあります。『地球の歩き方』(23-24年度「ロンドン版」)にはまだ載っていない事件ゆかりの場所を、にわかリッパロロジストになりきって歩いてみましょう[2]。
ホワイトチャペルを探索し、切り裂きジャック博物館へ
まずは、殺害現場が点在するホワイトチャペル(Whitechapel)に足を運んでみましょう。ロンドン塔にほど近い地下鉄タワー・ヒル(Tower Hill)駅で下車し、徒歩7分ほどで切り裂きジャック博物館に辿り着けます。ホワイトチャペル地区は静かで地元感あふれる風情が漂っていますが、これもまたロンドンが見せる一つの顔です。
ヴィクトリア朝時代(1837-1901)、この辺り一帯は「ホワイトチャペル」という名前が持つ神聖な響きとは裏腹に、貧困率が高く、売春も盛んな地域でした。犯罪がはびこり治安の悪いこのエリアは、神の光が届かぬ絶望の街だったとでも申しましょうか。やや余談となりますが、ここは例の「エレファント・マン」でも名高い場所です。1884年11月、プロテウス症候群を患ったジョゼフ・ケアリー・メリック(Joseph Carey Merrick、1862-1890)は「エレファント・マン」として見世物小屋に登場し、やがてホワイトチャペル・ロンドン病院の外科医フレデリック・トレヴェスと出会います。身体障害が平然と見世物になる世界観がそこにはあったのです。また、コナン・ドイルが生み出したかの名探偵シャーロック・ホームズが活躍したのもヴィクトリア朝です。ホームズが存分に活躍していたのは、彼の周辺で犯罪者たちが蠢いていたからです。大英帝国が栄華を誇ったヴィクトリア朝ロンドンは、貧困、組織犯罪、児童労働、伝染病の蔓延とコインの裏表の関係にありました。
さて、ホワイトチャペルにある切り裂きジャック博物館はひっそりと住宅の中に収まっていて、そのため、うっかりすると見落としてしまいそうです。まさに好事家向けの渋い博物館と言えましょう。繰り返しますが、この博物館は『地球の歩き方』には載っていません。
博物館は地下1階から地上5階までの縦長の構造になっています。各階には明確なテーマが設定されており[3]、2階には1888年9月30日の遺体現場を再現した薄暗い空間があります。当時の雰囲気が細部までこだわって再現されており、演出としてスピーカーからは「人殺し!(Murder!)」という叫び声が時折響き渡ります。通算二人目の被害者キャサリン・エドウズ(Catherine Eddowes)の遺体と、現場に駆けつけたワトキンス巡査を再現した蝋人形が配置されており、壁には犯人が残したとされる反ユダヤ主義の落書きが再現されています。
2階では、「リッパーの住居はこのようなものではないか」という想像に基づいた部屋が再現されています。鋭利な刃物で遺体が損壊された被害状況から「リッパーには解剖学の知識があったのではないか」という憶測に基づき、医者が持ち運ぶ鞄、手術用のメスや鉗子を載せた金属トレイ、薬瓶などが整然と配置されています。横たわる女性を描いた抽象画は、リッパーの正体として有力候補に挙げられた画家ウォルター・シッカート(Walter Sickert)の作品を複製したものです。
その他のガラスケースには、リッパーが遺体から持ち去ったと言われる臓器が小箱に収められた形で展示され、血に濡れたメスもそばに置かれています。また、「地獄より(From Hell)」と題された手紙など、リッパーと思しき人物が警察に送りつけた挑戦状の複製も展示されています。
3階は、当時の警察署の一部屋を再現したエリアです。遺体発見時にワトキンス巡査が吹いたとされる警笛、手帳、手錠などが展示され、中央には事件の書類を必死に調べるワトキンス巡査の蝋人形が配置されています。その表情は、おぞましい出来事の全容を把握しようとしているかのようです。
最上階である4階は、被害者女性たちが住んでいたと想定された一室が再現されています。このエリアでは5人の娼婦の半生を紹介し、ヴィクトリア朝期における女性の困窮について考えさせられる展示が行われています。彼女たちは、華やかなヴィクトリア朝の裏側で最下層に追いやられ、不運の重なりにより娼婦に身を堕とし、粗悪なジンで身を持ち崩す生活を送っていました。イーストエンドの治安の悪さも、リッパーに襲われる可能性を高めていたのでしょう。
貧困が暴力を誘発する状況、そして上流社会がそれに見て見ぬふりを続けたヴィクトリア朝の欺瞞——これらが、この博物館を通じて生々しく伝えられています。粗末極まりない小さな部屋の雰囲気は、寒さに震えながら過ごしていた彼女たちの姿を想像させるに十分です。また、スピーカーからはか細くも明るい女性の声による当時の子守唄が流れ続け、訪問者の胸を締めつけるような感覚をもたらし、いたたまれません。博物館で配布される小冊子には「切り裂きジャック博物館(Jack the Ripper Museum)」と記されたすぐ後に、「そしてイーストエンドにおける女性の歴史(and the history of women in the East End)」と副題が添えられています。この博物館はリッパー事件を超えて、当時の社会背景を現代に伝えようと試みていると分かります。
夜のホワイトチャペルで「切り裂きジャック」ツアーに潜り込む
ホワイトチャペルを訪れるなら、せっかくなので切り裂きジャックゆかりの現場を巡るツアーに参加してみましょう。ツアーはウェブで予約し、集合場所に集まると、そこからガイドによる2時間ほどの案内が始まります。ネットで調べると、複数の会社が「リッパーの専門調査と解説ではうちが一番!」(大意)と競い合っており、少し微笑ましくもあり、それぞれの本気度が伝わってきます。選んだツアーの集合場所へ向かう途中、期待感で胸が高鳴ります。地下鉄アルドゲイト・イースト駅前で集合すると、リッパーの代名詞とも言える山高帽をかぶったガイドが待っています。この日は30人ほどの大所帯でのツアーとなりました。
この手のツアーには珍しく、ガイドと参加者のやり取りはほとんどなく、ストイックに解説を聴き続けるスタイルです。ガイドは役者顔負けで、その語りぶりには感嘆させられます。かつて殺人現場だった場所を参加者とぞろぞろと歩きながら、当時の生々しい現場写真を持参のiPadで見せつつ、その場所の歴史や当時の情景を迫力たっぷりに語ってくれるのです。
ちなみに、この日のツアーに参加したアジア人は筆者だけでした。当然かもしれません。何が悲しくて、ロンドンまで来て血なまぐさいリッパーの足跡をたどろうとするでしょうか。たまたま筆者の研究対象にはフィクションにおける暴力表現も含まれるため、今回はそうしたフィクションの元ネタになりがちなリッパーにたどり着いてしまいました。なので今回ばかりは本当に、興味がある人に限った歩き方になってしまいましたね。ただ、このように興味のあるトピックに絞って特定の博物館や現地の解説ツアー、さらにはトピックにまつわる場所を自分の足で訪ねてみると、単なる知識だったはずのものがどんどん立体的になりワクワクしてくるものです。これが当コラムで最もお伝えしたい点です。そのワクワクした気持ちはきっと、犯罪調査の依頼が舞い込んできて思わずウッキウキになってしまう名探偵シャーロック・ホームズとさほど変わらない心理なのでしょう。
その他、ガイドの解説や現場巡り以上に強く関心を引いたのは、参加者たちの雰囲気でした。30人ほどのツアー参加者は、一人または二人での参加がほとんどで、どことなく陰鬱で、言ってしまえばパッとせず、なんともボンクラな雰囲気を醸し出している老若男女ばかり。そう、まるで私のようではありませんか!とてつもない親近感を覚えました。こんな風に見ず知らずの人たちを勝手に評してしまって、本当にすみません。でも、図らずも心強く感じたものですから。
それから、「本当に聞き取れるのかな?」と心配だったガイドの解説リスニングについては、はっきり言ってほぼ100%聞き取れました。予備知識と強い関心があれば、切り裂きジャックを巡る本場のイギリス英語のリスニングも何のその。筆者の体験を参考に、ぜひ皆さんも興味のあるツアーにどんどん参加してみてください。なお、筆者は翌日に国立劇場で『コリオレイナス』というシェイクスピアの芝居を観劇しましたが、このときのリスニングはお世辞にも満足のいくものではありませんでした。やれやれ、もっと自分の専門分野をちゃんと学ばなければいけませんね(ひどい研究者です。反省します)。