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関係性も流れる。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
わざわざ私が解説するまでもないが,私の好きな『方丈記』の有名な冒頭部分である。
先日,数年間にわたって一緒にお酒を飲む仲だった方に「もうお前とは飲まない」と言われた。
まったく心当たりがなかったので,「どうしたんですか?」と聞いたが,相手も相当に酔っぱらっていて,明確な理由を聞くことができなかった。
そのまま食い下がってもよかったのだが,よく知っている,お店の店長が制したので,その日は解散になった。
心当たりはなかったが,何か知らずのうちに失礼なこと(相手はふた回り上の方)をしてしまったのかとその日の帰り道に考えていた。
それでも特に思い当たらず,その日はもやもやを抱えたまま眠った。
後日,店長や,その場にいた周りの方が教えてくれたのだが,やはりこちらが何か(客観的に)特別失礼なことをしたわけではなかったらしい。
私は別のお店でも仲良くお酒を飲む友人たちがいるのだが,そちらで,ここ1年程よくご一緒させてもらっている方(以下,「ウサギのおじさん」目がウサギのようだから。)がいる。
店長や周囲の方いわく,どうやらウサギのおじさんと怒った方が,馬が合わないようだ。
それで,私の顔を見て我慢できなくなり,ウサギのおじさんとよく飲んでいる私に「もう飲まない」と言ったようだ。
客観的には失礼なことをしていないようだが,その方の中では「失礼に値すること」だったようだ。
周囲の方々は「おっさんの嫉妬」と表現していたが,私も「こんなことがあるのか…」とどうして良いかわからなくなった。
いわば,中学生が「あいつ最近別のグループとつるんでるから省こう」というような話である。
このような感覚がいい歳になっても残っているのかと,怒りよりも驚きと困惑があった。
周囲の方は「気にするな」と言ってくれたので,すぐに落ち着いた。
しかしよく考えてみれば,私にその感覚があまりないだけで,他の人は持っているのかもしれない。
職場などでもたまには聞く話である。
そしてその感覚を,年を取って持ってはいけないということもべつにない(社会生活は送りにくくなるが)。
特に利害関係がなくとも,特別な関係だと,こちらが思っていなくても,相手は思っていることは十分にあるのだとよくわかった。
そう思えれば,こちらから言えることはないが(「頻繁に別の方と飲んで申し訳ありませんでした」などというのは明らかにおかしい),ありがたくも思えてくる。
翻って自分の人生においてどのような経験であるのかを考えてみる。
というのは,この一見の次の日に,ある職場で関わる別の方(こちらもおじさん。社長。私のまわりはおじさんであふれている)が悪い意味で気になったからだ。
仕事終わりにご飯を食べようということになり,定食屋に入った。
そこでそのおじさんは,周囲の客をまったく気にせずに,電話をスピーカーフォンにして大声で話し始めた。
当然周りの客も迷惑そうに見ている。
私は「耳に当ててください」というジェスチャーをしたのだが,まったく気づいてくれず,いたたまれなくなり,下を向いてスマホをいじっていた。
電話が終わると,注文していた海鮮丼が届いた。
食事は食事で集中して食べ,終わったら早めに出ようと思いながら食べ始めた。
しかし食事中,おじさんは口に食べ物を入れ,くちゃくちゃ音を立てながら矢継ぎ早に私に話しかけてくる。
いわゆる「クチャラー」は私の特に嫌いな人種である。
そんなわけで,おごってはくれたものの,二度と一緒に食事には行きたくないと思いながら,笑顔で別れたのだった。
このように立て続けにおじさんたちに嫌な思いをさせられると,何か意味があるように思えてくるのだ。
いや,べつにないと思えばないのだが,あるとも思えてしまうので,一応考えてみるかというだけの話である。
べろべろに酔っぱらって,悪態をつくおじさん。
周囲に迷惑をかけても気づかず,くちゃくちゃ話すおじさん。
年は一回りちがうおじさんたちだが,両方とも「品がない」。
そしてこういう場面に遭遇するということは,私も品がないと考えられる。
同じような行動はしないが,相手に品性を持たずとも良いと思われているという点で,こちらも品がないのだ。
品のない者同士で調和が取れている。
また,裏を返せば,「品を持て」というメッセージでもある。
その場面が楽しいのなら良いが,困惑や嫌悪感を感じるのだから,互いに品はないが,周波数は違う。
ここから学ぶことがあるとすれば,「品(デリカシー)のない人間とはほどほどに付き合え」ということであろう。
邪険にするようなことはしない(できない)が,適度な距離感で付き合うことはできる。
前回の記事との関連を持たせるならば,視覚や聴覚,嗅覚,触覚,味覚などの感覚器官で受け取るものには,基本的に注意が行ってしまう。
だから自分が忌避するものは,目,耳,鼻,舌に入れないのが良いし,触れないのが良い。
それを入れれば入れるほど,その影響を無意識に受け続けることになる。
それについて「考える」ことも同様で,頭の中で見て,耳で聞いて,においを嗅ぎ,味わい,触れる。
繰り返せばだんだんとリアルになり,それにとりつかれる。
いつしか自分が忌避していたそれそのものとなっている。
だから「ほどほどに付き合え」である。
自分がそうなりたくないのならば。
ここで文字にして一旦書き付けることによって,頭の中でふわふわしている嫌悪感や困惑を外に出している。
noteはこういう部分でも便利である。
読まれる方々は良識のある方ばかりなので,安心して書けるのもまた,noteというコミュニティの良さだとつくづく思う。
長く付き合ってきた両人ではあるが,人間関係も川のように流れるということで納得できる。
「前進せよ」というメッセージだと受け止めて,また流れていく。
(写真は先日行った江ノ島。海は全てを洗い流してくれる。品のないおじさんも洗い流してほしい。)