My Hood. (RSR2024終了に寄せて)
My Hood = 地元。
ライジングサンは俺の地元。
RSR2024が終わった。終わってしまった。
何もわからず、テントサイトも用意せず通し券のみを購入して勢い一つで参加した2007年以降、自分にとって実に15回目のライジングサン。過去一の猛暑だったであろう昨年に比べれば、気温の上昇もそこまでではなく快適で、2日目の夜は少し肌寒さも感じ、ライジングサンでは久々に長袖を着たくらいには涼しかった今年。
今年のライジング、自分としては近年稀に見る多さで沢山のアーティストを観た。特に2日目は、アーティストの間隔もそんなに隙間もなく、観終えては次のステージに移動し、そして観てをとにかく繰り返すという、まるで学生の頃を彷彿とさせるかのような動き方は、今の自分にはだいぶ無理があり、終わって帰宅しどっと出てきた疲労感は、それはそれは大したものだった。
そして、Xに投稿した内容と重複してしまうが、Xでフォローをしてくださっていた方と初めてお会いし挨拶をし、たわいもない音楽の話をした。また、以前から会ってくださっている方とも近況報告みたいな緩い温度感でたわいもない話をした。超余談だが、いまだにこういう所に書くときに「X」と書くか「Twitter」とかくか考える。話し言葉はいまだ断トツで「Twitter」。しかし、正式には「X」。黙って「X」と書いてりゃいいだけなんだが、こういうことこそ意外と心の中が悶々とする。
話を戻す。僕は自分のことをよく「社会不適合者」と言っている。なぜか。文字の通りなのだとしか言いようがない。たまに「言い過ぎだよ」と言ってくれる方もいるが、元々人見知りかつネガティブな性格ゆえに仕方がない。なのでお会いしてくれて、そして話をしてくれることが本当に有難く、感謝しています。
勿論、SNSをやっている理由の主たる目的が「人と会うこと」ではないので、会うことに必死になることはない。しかし、何度かリプ等でやり取りをすれば、どんな人なのだろう、と思うことは、割とそこまで不思議なことでもないと思う。そしてそこで相手に変なイメージや印象を持つことは決してないので変に誤解されないように。
そして、ここが一番ポイントなのだが、周りに音楽の話をする人がいない。人と会う機会も学生時代に比べ圧倒的に減り、職場にはあまり同じように音楽が好きな人はおらず、かつもともとあまり人とわーわーするタイプではないとくれば、そりゃあそうだろ、という話でもある。しかし、ふとしたタイミングでこういう類の話をできる人がいないっていうのは結構寂しいもの。人というのは我が儘な生き物なのだ。つまりは、ひとまず自分も人だったみたいで、SNS上でのやりとりも良いが、その無機質な画面上の文字に温度感を加えたものを求めてしまう。なので、今回そういう機会を持てたのは自分にとっては、大光栄なことだったし、今後も機会があれば、色んな方とそういう機会を持ってたわいもない話をしたい。
RSR2024が終わった。終わってしまった。
自分にとって確かにかけがえのない場所だし、わくわくしていないわけがない。が、今年は直前まで体調がよろしくなく、全然心身ともにライジングに向けて高めることができないまま当日を迎えた。それもこれも今現在、うつ病を抱えていることが主な原因なのは間違いない。「患う」という表現があまり好ましくないので、「抱える」という表現にさせてほしい。うつ病に関しては、ここに書いたところでなので、これ以上は今は書かないですが、辛い。しかし、向き合うしかないので、なんとか上手く付き合っていく。そして、もし僕のことを知っていて今後会う方がいれば、別に今まで通り接してくれると助かります。変に気は遣わなくて大丈夫。ただ、その症状が出てしまったときは本当にごめんなさい。
それ故に、今回のライジングではいつものように集中してライブを観ることが難しく、複雑な気持ちだった。勿論、色んな場面で興奮もした。けれども、ライブを集中して観ることができないことに悲しくもなり、今振り返れば、なんとか数多く観ることで、誤魔化そうなんてしていたように思う。
沢山のアーティストが素晴らしい演奏をする中で、その中で印象に残ったものを。
初日、BOHEMIAN GARDEN、17:50、「森山直太朗」。
怒髪天とAwitchを観終え、次なる「森山直太朗」を観にBOHEMIAN GARDEN(以下ボヘミアン)に向かった。ボヘミアンは、コロナ禍でエリアが縮小したことで一時期なくなっていたが、今年5年ぶりについに復活。正直、ボヘミアンとはあまり縁がなく、その中でわずかに残っている思い出と言えば、2009年の奥田民生ひとりポックルでカバーしていた、くるりの「ばらの花」が良かったなあ、というくらいには随分と記憶も遡る。あ、あと2010年のEZOISTでのTERUの「夏祭り」。EZOIST復活しないかなあ。ってか「ひとりポックル」って。
ボヘミアンに向かうには、EARTH TENTとRED STAR FIELDの間にあるリストバンドチェック地点を曲がり、細いコンクリートの道をひたすら直進する(それかFORESTゲートから入場するか)。そしてその道を突き進み、更に奥まで歩いて行った先にその可愛げな規模感でボヘミアンは姿を現し、ステージ上では、森山直太朗のサポートミュージシャンが準備を行っていた。ちなみに、ヘッダーの写真は、ライブ直前のボヘミアン。
「夏の終わり」を聴きたい、ただそれだけで向かった僕だが、気づけば50分間どっぷりの森山直太朗の音楽に浸かりまくった。最初の1曲目、2曲目がまさかの『さくら』~『夏の終わり』と、まるで興味本位の人を早々に帰らせてしまうような選曲。しかし、全体見渡してもそんなこともなく、僕もそんな邪念すぐに消えていた。
参考までに、この日の森山直太朗のセットリストは以下の通り。
この日の森山直太朗のライブは、ステージの規模感、時間帯、天気などの全ての要素が、森山直太朗の世界観にハマっていたと思う。そしてタイトルひとつ眺めても、その独特な世界観。これだけ独特な日本語のタイトル曲が並べば、『boku』の表記すら独特に感じてくる。なぜ、「僕」ではなく「boku」表記なのか、少し気になって調べてみた。すると、この曲は作曲しながら自分が伝えたいことを知るという、少し変わったでき方で完成した曲らしく、その中で「僕」というある種の自意識の象徴のような言葉が、大きくは地球そのものにかかっているという。ゆえに表記が「boku」なのかもしれない。
また、『生きてることが辛いなら』は、発表当時に「自殺を助長しているのではないか」と問題になったのは、自分ですら覚えている。
冒頭の歌詞のインパクトは、それはそれは強烈である。あまり言いたくはないが、今の自分にとっても相当強烈なもの。しかし、その後彼はこう歌い続ける。
そして最後には「生きてることが辛いなら 嫌になるまで生きるがいい」と歌う。1曲を通して決して自殺を助長するのではなく、むしろ母性のような温もりで抱きしめ、心に寄り添うような曲。救われるとは言わないが、この日、森山直太朗のライブを観に来てよかったと強く感じた瞬間でもあった。
森山直太朗のライブを終え、SUN STAGEの方へ戻る道中、周りを眺めては過去のライジングのことを思い返したりした。今は亡きTAIRA-CREWでキャンドルに囲まれた中でライブを観たり、昔はここにmoon circusやGREEN OASISがあったなあとか、ここであの人に会ったなあ、とか。ライジングサンも何度か大きなエリア変更を行っているので、ここの導線昔はこうだったな、とか。あの年のあのアーティストのライブが~というエピソードもあるけれども、なんだろう、地元を離れた人間が、まるで帰ってきた地元を久々に散歩しているような感覚。最近、自分の住む札幌市内中心部の街並みの変化が加速しているように感じ、そこにノスタルジーを感じていたところで、その気持ちがライジングサンにも移ってしまって感は否めない。でも決してネガティブに捉えることではない。
大トリのクリープハイプのライブ後には、来年の開催日程も発表された。自分の中でのライジングサンの優先順位は高く、よほどのことがなければ、来年も必ず行く。その時は今よりもう少し良い状態でライジングサンに臨めたら。
最後に、今年はライブを観ている時間がとにかく長かったので、一緒にライジングに行った友達と共に行動をする時間が極端に少なすぎた。というかほぼ皆無に等しいレベルだった。2日目に関しては、うちの1人とは最初のマイヘアが始まる前に会った後、次に会ったのは大トリのクリープハイプが終わった後だった。僕たちらしいと言えば僕たちらしいが、会場で友達とわーきゃーするあの時間も最高なのに、今年の自分はその最高を少し疎かにしてしまっていたと、終わってから結構反省している。一緒にライジングサンに行ってくれる人がいる、会ってくれる人がいることに、自分は結構支えてもらっている気がする。来年こそは、もう少しその最高の時間を持つことを約束の如くここに記しておく。また来年、地元に戻れるように。
余談。
昨年のライジングのくるりのレポ、一昨年のナンバガのレポを下に載せます。