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対戦中の変性意識への移行についての考察(拳法とスポーツチャンバラの経験から)

はじめに

以前のノートに気功の鍛錬が武道にもたらす効果について書きましたが、そこで述べた通り、気功は気の流れを体で感じる、いわば、物質的な感覚を養成するための技術です。これとは別に、対戦中に意識の持ち方で勝敗の状況が大きく変わることがあります。また、極端な場合は、通常と全く違った意識の状態に達することがあります。スピリチュアル業界では、こうした意識の状態を変性意識と呼びますが、これについて、自分の体験から考察したいと思います。

子供の頃の不思議な体験

これは武道の対戦中のことではないのですが、自分が武道の中でも太極拳に憧れた原因にもなっているので述べたいと思います。私が中学に通う頃、学校はかなり荒れていました。ボーッとしていれば、いつ殴られるか分からないような荒廃ぶりです。そんな中で、ある日、教室の窓際に立って、ボーッと外を眺めていました。そして、なんとなく振り返ると、自分に向かって飛んでくる黒板拭きが、なぜかゆっくりと視界に入りました。反射的に体が動いて、黒板拭きをキャッチしました。投げた相手は、間抜けな私のすごい動きを見て驚いていました。こんな動きが意図的にできれば凄いと思い、また、それを実現するのは、神秘的な雰囲気の太極拳だろうと決め付けました。その当時、太極拳を教える道場はとても少なく、実際に習い始めるのは何年も後になります。

拳法で対戦中の不思議な感覚

学生時代、型を中心に色々な中国武術を習っていました。ところが、それに納得できず、武道好きの中国からの留学生と交流して、よく徒手対戦の相手をしていただきました。その人には、ほとんど敵いませんでしたが、ある日、その人が一撃で動けなくなってしまう蹴りを一度だけ決めたことがあります。その時は、やはり、相手の動きがゆっくりと見えて、反射的に何気なく軽い前蹴りを出した感覚でしたが、その一撃で相手は動けなくなりました。その時の光景を思い返すと、不思議なことに自分の目線より高いところから見たとしか思えない、蹴りの決まる瞬間が浮かびます。また、本格的に中国武術のスパーリングを教わるようになった後、ある相手との対戦時に相手の呼吸と鼓動が手に取るように分かりました。そこで、反射的に息を吸う瞬間に掌打の一撃を鳩尾に決めて、相手がしばらく動けなくなったこともあります。

スポチャン対戦中の体験

今は、再開発でなくなってしまった師匠の道場があった頃、ほぼ毎日、盛大に打突の稽古をやっていたものです。その中で、厳ついオーストラリア人ともよく稽古をしたのですが、彼とは、ほぼ互角の勝負をしていました。ところが、ある瞬間、彼の面打ちがゆっくりと見えて、反射的に身を沈めながら、綺麗に足打ちを決めました。また、あるときは、師匠に長剣の稽古をつけていただいたとき、普段は目に留まらない師匠の打撃がゆっくりと見えて、反射的に左手で打ってきた長剣を掴んでしまいました。他にもこうした経験はいくつかあるのですが、キリがないので詳細は省きます。こうした、ゆっくり見える体験をした際に、その他にも共通した感覚があります。道場内で対戦を見守る師匠や兄弟弟子達の見守る心の状態が、なぜか分かるのです。というのは、あまり適切な表現ではありません。彼等と自分が別々ではなく、その場に一体となって溶け合った感覚です。

戦いと変性意識、もしくは、悟り

上で書いたような感覚を覚える時、明らかに自分は普通の意識状態とは異なります。普通の意識状態にあるとき、次から次へと浮かぶ雑念だらけで、また、自分と周りを分けて、周りから脅かされる自分に固執する小さな自我に囚われています。でも、上で述べたような変性意識状態に移行すると、目の前の現実だけに集中し、周囲と溶け合い、そして、時間の流れがゆっくりと感じられます。これは、いわゆる悟りと呼ばれる意識の状態ではないでしょうか。戦いとは、生物として生き残るために必要なとても原始的な行為です。そんな根源的な行為をするとき、やはり根源的な意識状態である悟りが発動するのかも知れません。

中国武術の理論による説明

上の様な意識状態を別の視点から解説した理論があります。まあ、これは、あくまでも私の解釈として断っておきます。心意六合拳という武術がありますが、六合という言葉が、この武術の要点を表しています。六合は外三合と内三合に分けられますが、前者は身体の使い方なので詳細は省きます。内三合は、人間には「心、意、気、力」があり、優れた技を出すためには、「心と意」「意と気」「気と力」が協調して動く必要があると説きます。この逆を経験したことは私も含め、多いと思います。例えば、攻撃の好機に気付いたのに体がすぐに動かず、逃してしまったという様な場合です。これは意識と身体の動きの不一致と言えます。対照的に、上に書いた様な変性意識状態にあるときは、意識に遅れず反射的に体が動くので、この内三合に適っていると言えます。

蛇足(シュタイナー人智学の類似性)

これは、本題と関係ない蛇足になりますが、内三合が説く、「心、意、気、力」は教育学で有名であり、実は神秘学者であったシュタイナーの世界観と非常に似ています。シュタイナーは、人間は「肉体」「エーテル体」「アストラル体」「ゴサール体(近年は自我と訳されることが多い)」から成っていると説きます。詳しい説明は省きますが、各々の説明を読むと、「エーテル体」と「気」、「アストラル体」と「意」、「ゴサール体」と「心」が各々対応することがわかります。もちろん、「肉体」と「力」が対応することは言うまでもありません。心意六合拳の理論もシュタイナー人智学も、現代科学の観点から見ると迷信の類に見えますが、こんなに類似性があると、何らかの客観的な事実に基づいているのではと思えます。


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