「愛があるから大丈夫」はそもそもがおかしい [詭弁の話術]
本の内容のアウトプット用の記事です。
人に見せるように書いてないので見る人は、それを承知で見てください。
人に見てもらうように書いてないというのは、本の大事な部分を紹介するということではなく、ワイにとって必要な部分と印象に残った部分と好きな言い回しや表現のみを順不同でアウトプットしているということです。
今回は「即応する頭の回転 詭弁の話術」です。
特に個人的に大きな学びになるような本ではなかったのでアウトプットの質は悪いかもしれません。
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1、政治の場でもビジネスの場でも、はたまた恋愛の場でも、およそ人間の意志と欲望が言葉となって表現されるときには、必ずそこに詭弁の入り込む余地がある。
→なるほど、詭弁を理解するうえで、この性質を言語化するのは重要であると感じた。「意志と欲望が表現されているときには」というのがポイントで、相手のいうことに対して自分に詭弁を使う余地があるのかを考える手間がなくなる学びだった。
2,「神田さんの奥さんも、田島さんの奥さんも、渋谷さんの奥さんも、大崎さんの奥さんも、みんなこのクリームを使ってから色が白くなったとおっしゃっています」と主張したとしても、その化粧品をそう高くは評価してはいけない。
目黒さんの奥さんや駒込さんの奥さんは全く効き目がなかったといっているかもしれないし、新橋さんの奥さんは、逆に黒くなったといって自殺しているかもしれない。
そういう事実があってもセールスマンがはなすはずがない。
→確証バイアスをご存じの人なら周知のことだが、人は自分にとっでて都合のいい情報のみを集めたがる。
こういった文章には要注意。
3,飛行機事故の原因はほとんどがパイロットの操縦ミスである。
パイロットはいつも死んでいて、弁明することができないからである。
→なるほど面白い、今後必ず使う場面が出てくると思うので記録用にアウトプット
4,ホステスの武器は”化粧、衣装、微笑”の3ショウである。
しかし、もっと効果的な秘密兵器は”寝ましょう”である。
→これは他人を説得し動かす話し方にのっとっており非常に良い表現
5,人間にはなぜ尻尾がないか?擦り切れるほどよく振ったやつが生存競争に生き残ったのである。
6,イタリア人とユダヤ人が、ご多聞に洩れず先祖の自慢話に花を咲かせていた。
イタリア人「このあいだローマの遺跡を発掘していたら錆びついた銅像が出てきてね」
「ほう、それがどおした?」
「わからんかね、われわれの先祖がすでに電話を発明していた証拠でさあ」
するとユダヤ人も負けじとこういった
「先日エルサレムの発掘をしたが、何も出てこなかった」
「ああ、やっぱりね」
「わからん人だなあ、われわれの先祖はすでに無線を発明していたんじゃて」
→あいてが銅像があったことでこちらにマウントをとったのに対して、何もなかったことで相手を上回る、詭弁としては基礎にのっとった最善の手だと思う。
7,約束がちがう
インちゃん「この病人を治しても殺しても、たっぷりお礼を差し上げますから、全力を挙げて治療してください」
こういわれてあずちゃんは精一杯努力したが、薬石効なく病人は死んでしまった。
それから数週間、待てど暮らせど約束のお礼が届かない。
あずちゃんがさりげなく催促をすると、インちゃんが
「あなたは病人を治しましたか?」
「いえ、残念ながら」
「では、病人を殺したのですか?」
「とんでもない」
「私は、”治しても殺しても”といったはずですが」
8,統計的事実を持っていたとしても、統計はその集計法や分析法が明らかにされない限り、何の意味も持たないものである。
いつ、だれが、どういう方法で、その結論を引き出したか、それが大切なのだ。
古い統計は役にたたない。
サンプルの小さすぎる統計は実態を反映しない。
分析の方法によっては、同じ統計から全く別の結論も出せる。
そういったデータは見せる相手が納得するように作成者が加工した料理のようなもの。
味付けや包丁の入れ方におのずと作成者の意志が入ってしまう。
9,ことわざで相手を説得しようとしてくる場合に、そうとは限らないと言い返すための例をいくつか挙げておこうと思う。
「善は急げっていうだろ、だから急げ」⇔「急がば回れともいうだろう」
「初めが肝心というでしょう」⇔「終わり良ければすべて良しとも言います」
「虎穴に入らずんば虎子を得ずですよ」⇔「君子危うきに近寄らずですよ」
「大器晩成」⇔「「栴檀は双葉より芳し」
「あとは野となれ山となれだ!」⇔「飛ぶ鳥跡を濁さずです」
「嘘も方便」⇔「噓つきは泥棒の始まり」
10、愛
若いうちに結婚して周囲から心配されている夫婦があった。
それに対し花嫁が、「若いからと誰もが心配するけれど、愛があるから大丈夫なの」
こんなことを言ったら周囲はどう思うだろうか?
結婚にとって愛が大切なのは周知の事実である。
そして世の中を眺めてみれば、失敗した結婚だって、最初は溢れるほどの愛があったはずなのである。それが途中からおかしくなったのである。結婚とはそういうものだ。
だからむしろ愛が薄れた時に何を歯止めとして考えているか、最悪の事態に至ったとき、その後の人生をどう生きでいくつもりなのか、例えば「お金があるから大丈夫なの」とか「美容師の免状を持っているから大丈夫なの」とか、その辺が問題の焦点にならなければならない。
そこのところに思い至らず、「若いとだれもが心配するけれど、愛があるから大丈夫なの」とは?まことに天下太平である。お日様がぽかぽかいい天気である。
そんな甘っちょろいものだけを頼りにしているからこそ「若いとだれもが心配する」のである。
愛は結婚の必要条件だが、それだけで将来の幸福を約束する十分な条件ではない。
「愛があるから大丈夫」ならば恋愛結婚のほとんどは大丈夫なはずである。
そもそもこれがあるから大丈夫という便利な条件などどこにもないのである。
だからこそ心配されるのであって、送り狼が若い娘の肩に手を当て、「僕が送っていくから大丈夫だよ」と言っているようなものである。
”大丈夫”として挙げている理由が一番心配な点なのである。
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2000文字超えてしまいましたがこれでおしまいになります。
これは阿刀田高さんの書籍ですが、
詭弁やレトリックの書籍は香西秀信さんと佐藤信夫さんのものが僕には読みやすく学びになりました。
皆さんすでに亡くなられているので残念でなりません。
ワイがその技術を受け継いでやるきいいいいいい!!!!!