物語28

その領域の発展には批評性が必要なのか

昨日、最近建築の世界ではモダニズム時代のような作品批評がなくなっているのが問題だという話を聞いた。

理由は色々あるが建築雑誌に作品批評の場所がなくなったとか、稼げないからだとかまあ色々あるらしい。

確かに最近ほとんどの場合で作品批評みたいな物を見ることがなくなったのかもしれない

海外の建築についてあまり詳しくないのだがどうなのだろうか

少なくとも日本だけのこととして捉えるとそうなっているのではないだろうか

学生が雑誌を見ていてもなかなか建築の写真が多く載っている物が多く設計理論がしっかりと載っているものは少ない

雑誌にのった建築がいい建築だとなっていることも少し問題なのではないだろうかとも言っていた

雑誌に載ってもいいものだとは限らない時代からいいものだという時代になってきているらしい...

これを聞いて、「センスの悪い国で精密なマーケティングをすればセンスの悪い商品が作られ、センスのいい国で精密なマーケティングをすればセンスの良い商品が作られる」ということを書いていたことを思い出した。

要するに、グローバルの商品が入ってきやすくなった今お客さんの声にしか耳を傾けずに物を作るとセンスの良い国から入ってきたものに全て負けてしまうということだ。

これは、ある意味建築も同じなのではないだろうか?

自分の中での建築理論ではないがある意味での美意識のような物を持って物づくりに向き合わないと本当にいい物が何なのかがわからなくなってしまうのだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集