物語37
自殺してしまう人に僕たちはどう寄り添うことができるのだろうか
今年はコロナの影響なのかどうなのかわからないが自殺するという選択をしてしまう人たちがたくさんいる実際店を営んでいる人たちにとっては生活が苦しくなり自分で自分を追い込んでしまい自殺してしまう人がいるのかもしれない
責任感が強いというか仕事をしていないと生きる価値がないという価値観の強い日本人にとって仕事を失うこと=自殺するということに近い考え方になることは仕方がないのかもしれない
逆に、どうしたらそんなひとたちにとって少しでも助けになれるのかを考えたい
建築は人に寄り添うことも人を拒絶することもでき、すごく冷たくもあたたかくもなれるような物体だたくさんの人にとっては居場所となり得るような建築も自殺を選択してしまう人たちにとっては毒のような存在なのかもしれない言葉と同じで凶器にもなり得るものと考えた方がいいのかもしれない
普通という言葉は使わない方がいいのかもしれないのでここでは一般的な人をマジョリティーということにする
建築計画はマジョリティーの人たちがどうやってある程度の快適性を持って暮らせるかを考えて作られてきたもので自殺を選択してしまう人たちにとっては最適解ではないと言えるしかし、資本主義的な考え方や同調圧力的な考え方があるのでなかなかそう言った人たちのためのものを作ることができない作ろうとしても、一般的な感性の人たちにとっては”おかしなもの”という認識になってしまう荒川修作の作品などは典型的な例になるのだろう
最近ではLGBTのような一部そう言ったマジョリティーではない人たちのことを受け入れるような運動が起きているがなかなか目に見えてこない問題対しては対処のしようがない
そう言った人たちに対して建築という視点からどのような体験を作れるのかを長い時間をかけて考えていきたい
なかなか建築という目線にもならないし設計の材料にもならない気がするがここ最近で起きている悲しい事件が多すぎるので大学院まで進学させてもらった恩返しとしてこう言った問題をしっかりと考えたい