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人生の引き算
父が入院した1月末から、週末はほぼ実家で過ごしている。
1人でいる母がかわいそうだと思うからだ。
1人でいるとぼけちゃう、とよく聞くので、それも心配。
ちなみに、私はそれまで実家と距離をとって過ごしてきた。
次男妊娠中につわりがひどくて実家で生活していたが、長男に対する苛立ちや葛藤やメンタルの不安定さをまったく理解してもらえず、両親と大ゲンカして飛び出して以来、近付きすぎないように気をつけていた。
まあそれまで実家に、というか、母に依存しすぎていたのだろう。
その一件は私の足元をぐらつかせ、何に安心して生きていけばよいのかわからなくなるほどだった。
だけど、実家と、というか、母と距離を取らなければ子育てが余計に辛くなるとわかった。
母と私は違う人間。
私には私の子育てがあっていい。
そのことがわかるまでにしばらくかかったっけな。
うちの親は、毒親だ。
もちろん彼らにそんな自覚があるわけでない。
でも私はそう思っている。
そんなわけで、私は距離を取ることに決めたのだった。
しかし、父のことがあり、急に距離が詰まった。
正直、私は困惑している。
私は距離を保っていたかった。
母は、わかっている風だが、発達障害とか、凹凸とか、全然わかってない。
そういう子どもを育てる親がどれだけの葛藤を抱いて日々を過ごしているかも。
虐待してしまうのではないか(実際言葉の暴力はもうかなりのもの)、我が子を嫌いになってしまいそうな罪悪感を抱えながら、それでも子育てから逃げられないこの苦しみは母にはわかるまい。
わかってもらわなくてもいい。
もはやそんなことを母には期待していない。
それはもうとうに諦めた。
ただ、ほっといてほしい。
だから実家にはなるべく行きたくなかったのだけど、今の状況では仕方ない。
ついでに愚痴れば、毎週毎週3人分の泊まりの用意をして出かけるのは大変。
実家に行ったからとて別に大して楽ではないし、母の言うことをおとなしく聞く子どもらじゃないし、実家に行っても休めるわけじゃなし。
むしろ子どもたちと私が今直面している課題についてはどうせわからないしわかろうとしないんだからあれこれ知った風なことを言わないでほしい。
母の話なんぞ、自分の知り合い十数人の話とワイドショーしか出てこないのだ。
その狭い狭い母の世界が、世の中の全てを知っているかのように話されることに腹が立つ。
育児と介護が重なるとキツイ。
とはよく言われる。
母は別に介護が必要な状況にはないが、父の死後の手続きアレコレを1人ではやれない。
ボケたんじゃない。
父に面倒なことを頼って生きてきた昭和の女の成れの果てだ、と私は思っている。
あるいは母の能力の限界値なのだろう。
まあ、年齢も年齢だから仕方ない部分もある。
そんなわけで、大半のことを兄と私で分担してやっていて、加えて母の安否確認とメンタルケアを私が請け負っている状態だ。
ちなみに、兄は母のことが嫌いなので、用事がある時以外は実家に寄り付かないし電話もよこさない。
そういう人だ。
それもそれで仕方ない。
仕方ないものは仕方ない。
でも、私はけっこうキツイ。
仕事やめようかな、と、実はちょっと考えている。
やめようかな、というか、休みたい。
このままいったら、多分私のメンタルか体が悲鳴をあげる。
うっすら予兆の自覚もあって、体の中で「警戒警報!警戒警報!」と鳴っているのが聞こえる。
つまり、シンプルに、疲れたのだ。
子育て
実家のアレコレ
仕事
家事
並べて書けば、たったこれだけの文字数。
なんてことない。
なんてことない。
でもなんてことなくないんだわ。
足し算よりも、引き算が難しい。
と、以前誰かに言われた。
あれもやりたい、これもやらなきゃ、と、増やしていくことは難しくない。
むしろ、やめることや減らすことの方が難しいのだ。
だけど、これをやらないと、いつまでも今のまま。
苦しい苦しいと思いながら、変わりたい変えたいと思いながら、何も変わってゆかないのだ。
もしこれを読んでくれているあなたが、自分の人生の何かを変えたいと、自分が変わりたいと思っているのなら、それは案外、何かを【足す】ことではなく【引く】ことが重要なのかもしれない。
さて、私は何を引こうか。