ライフコーチになりました
数日前に、私はライフコーチになることを決めた。
相談業をやりたいと思い始めてから早10年近く。
やるぞやるぞと思いながら、ちょっと踏み出してはまた戻り、また踏み出してはまた戻りを繰り返して、数日前にようやく心が決まった。
それは本当にたわいもない瞬間に突然心が決まったのだった。
なんの瞬間だったかもう思い出せない。
とにかく「あ、私、できる」と思った瞬間があったのだった。
その瞬間を逃さず、私はすぐにメンターにLINEした。
「私、ライフコーチになることに決めました。」
働き方を考える、とか、ずっとずっと考えてきたけれど、私はこれがやりたかった。
正確に言うと、相談業というよりも、私は【言葉】を使ったことがしたかったのだ。
言語理解能力が異常値の息子を見ていて思う。
私もまた言語能力が高く、これは私たちに贈られた「ギフト」なのだ、と。
そう思った瞬間、自分の中で抑えていたらしい何かがぶわぶわっと溢れてきた。
【言葉】を使えば、私はもっと多くの人の役に立てる。
ライフコーチ。
得体の知れない職業。
肩書きなんてどうでも良くてさ、私はとにかく「対話」をしようと思うんだよね。
答えは自分の中に眠っていてさ、それを、クライアントは本当はもう知っていて、自分で取りに行けるわけ。
ただ、それって1人じゃできないんだよ。
やってみればわかる。
ネットや本でどれだけ情報インプットして、自分で一生懸命考えてみても、都合良く蓋をしたり、横から自分Bとか Cが出てきて妨害するわけ。
現状から変わらないように、いろんなことささやくわけ。
それで、何も変えられないのよ。
そんな時にメンターがいるとさ、とにかく自分の言葉でしゃべって、それを自分の耳で聞いて、それでハッとするわけ。
自分の中の答えが共鳴するとでも言おうか。
じゃあそれなら友達とか家族でもいいんじゃない?
と思うかもしれないけれど、それもやってみればわかる。
程よい距離感だからこそ、言えることがある。
それはお互いにだと思う。
私は、友達でも家族でもないメンターだからこそ、自分のことも赤裸々に語り、赤裸々に語れるからこそ自分を深掘りできる。
例えば、旦那さんの年収とか、家庭のドロドロした悩みとか、親の恥ずかしい話とか、友達に言える?
例えば、起業したかったとして、会社員である旦那さんに相談して、起業の仕方教えてもらえる?
(旦那さんの理解と協力はあった方がいいと私は思っていて、秘密裏にやるものではない。てゆーか、そんなこと不可能。そういうことじゃなくて、「起業」って特殊な世界なので、会社員には解りづらいと思う。)
メンターは、他人だからいいのよ。
だって関係ない人だもん。
て言うと冷たい言い方に聞こえるかもしれないけれど、その「遠さ」が大切なのよ。
でも、ただの他人じゃダメなのよ。
そこに「お金」が発生してるからいいのよ。
そこはコーチの誠実さによるところだし、見極めが必要だけど、ちゃんとした人なら、「仕事」だから一生懸命にやるはずだし、クライアントになるこちら側だって、払ったからには真剣に取り組むでしょ。
自分の人生に向き合うには、そのくらいの真剣さが必要だと思ってる。
自分の人生を考えるとか、自分を知っていくとか、それってやらなくても生きていけるんだよね。
でも、やろうとするってことは、今何かが苦しいんでしょ?
何かがハマってない気がするんでしょ?
何かがうまくいかないんでしょ?
それをどうにかしたくて、もがいてるんでしょ?
その正体を知るための「壁打ち」。
そして次の一手を「一緒に」考える。
そのためのメンター。
いつのまにか【ライフコーチ】という言葉から【メンター】という言葉に変わってたわ。
そう、私がなりたいのは【メンター】なのです。
いやまあ肩書き本当になんでもいいんだけど。
私のメンターが私に勇気をくれたように、私もまた誰かに勇気を与えられる人になりたい。