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針葉樹ことのは

言葉の大切さに気付かされる。

私の上司は言葉を使うことに長けている。使う言葉そのものが洗練されているのは勿論のこと、その言葉の影響力にも配慮が行き届いている。

言語性知能の高さ故と思うが、よくよく話を聞くと、読書量がその裏付けになっているようだ。

私自身も30代に入った頃に記憶と言葉がリンクせずに適切な言葉が出にくくなったことがあるが、読書量を増やした結果、そのようなことが減った経験がある。

脳に新たな回路を作るまでに3週間ほどかかることを考えると、少なくとも3週間は読書を続けることが肝要だ。

よく言われることだが、さらに大切なのは読書で学んだことを人に話すということだ。私がnoteでアウトプットをしようと思い立った理由の一つでもあるが、表現をすることに記憶に定着し、より言葉が洗練されていく。言葉は、磨くことができるという点でも極めていくのに適しているように思う。(日常的に同じ頭の回転を持つ人と他愛もない会話をするのが研鑽の近道だが、疎遠になり難しくなりつつある。)

反対に言葉は人を傷つける凶器にもなりうる。誹謗中傷などもってのほかだが、その時その時に良かれと思った言葉であっても、人を縛りつけ、呪いの言葉となってしまうことがある。私はこれまで多くの言葉に支えられて生きてきたが、一方で、いくつかの言葉に縛られている感覚もある。他人の言動で傷付かない秘訣は、受け止めずに横に置いておくことだが、私のように全ての機会を成長に繋げようと試みる人間は、言葉を横に置いておくことが難しい。全部受け止めて克服の時を待つ。その間も体力な毟り取られていく。

私の言葉は広葉樹なのか針葉樹なのか。落葉樹なのか常緑樹なのか。検証の日々が続く。

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